『ごみかん』の歩みとごみ問題の変遷
ごみにも新たな学習が必要
助走期間の「市民環境情報センター準備室」を経て 「ごみ・環境ビジョン21」がスタートしたのは1998年5月30日、忘れもしない「ごみゼロの日」でした。
活動の目玉「市民ごみ大学」、第1回目は【教育が切り拓く21世紀の環境】と題し、講演、学校での実践報告、参加者同士の討論と盛りだくさんで、2日間にわたるセミナーは大盛会でした。 “環境学習”は「ごみっと」でも取り上げ、新生ごみかんの柱といえる活動になりました。
次年度の99年は“ごみ”を切り口に年6回の連続セミナーを開催。 プロジェクトチームを組み年間計画を練りました。 隔月に「ごみっと」の発行とごみ大学の開催、第2回目からは講演録作りも加わって…、あの頃はみんな若かった!
草の根を得意とするごみかんにも、21世紀を迎えるにあたり新たな「学習」が求められました。特集で取り上げた「PRTR」もそのひとつ。 「環境に影響を与える可能性のある化学物質の種類や排出量などを事業者が報告、それを受けた行政が公開する制度」のことですが、麦わら帽のおじさんと同じ「未知との遭遇」でした。
他にも、自治とごみ、焼却炉、アセスなど、法律、条例、規制から炉の構造まで、資料を傍らに置いて書いた特集には悪戦苦闘の跡が見えます。
今では事業所から学校、自治体まで取得するのが当たり前になった「ISO14001」もこの頃登場。
ダイオキシンと塩ビ、そして焼却炉談合
99年2月、テレビ朝日のニュースステーションで「所沢の野菜はダイオキシン濃度が高い」と報じられ、大騒ぎになりました。農家への風評被害が広がり、報道の杜撰さが社会問題化する一方、国のダイオキシン対策の甘さが露呈しました。
ごみかんもダイオキシン問題の学習会や交流集会などに参加し、他団体と連携を深めました。 3月には現地の人の案内付きで産廃銀座見学会を実施。雑木林の中に突如出現する焼却炉や野焼きの跡に憤り、怖いドーベルマン犬やオニーサンには吼えられ!「百聞は一見にしかず」を肌で感じました。 現場には足の踏み場もないほど廃プラが散乱。
後に「プラスチック」については「ごみっと」とごみ大学で取り上げ、しっかり学習しました。基礎的な知識、処理の実情や問題点などの蓄積は、容リ法改正の運動にも活かされています。
その後、ダイオキシンの主な発生源といわれる塩ビをめぐりメーカーとの論戦が加速していきます。 脱塩ビとプラスチック表示を求める運動に、ごみかんも積極的に関わりました。
ごみの上流をターゲットにした運動の陰で、くすぶり続けるのがメーカーの「談合」問題です。 公取委が立ち入り調査した報道をネタに紙上座談会を掲載、メーカー、コンサル、自治体(国・都道府県)の「だんご〜三兄弟」もお目見えしました。 メーカーはもちろん、行政の責任も免れません。 多摩地域でも90年代以降に建てられた炉は、ごみ量の倍以上もある大型ばかりであることが判明。 市民有志が公取委に申告書を出しました。
ガス化溶融炉、エコセメントへの問題提起
ダイオキシンの本格的な規制が始まる頃を見計らって、ガス化溶融炉が自治体に導入され始めました。 高温で溶かす、溶融スラグが再利用でき処分場がいらない、分別が不要などを売り文句に、焼却炉に代わる次世代型施設として、建て替え計画の選択肢に必ず加わるようになりました。
安全性もさることながら、分別収集、リサイクル、そしてEPRの徹底という方向が示された現在、ごみの減量政策との整合性が問われます。
新技術といえば、多摩地域では焼却灰をセメントにする「エコセメント化」導入に対して、三多摩地域廃棄物広域処分組合に公開質問状を提出、焼却灰の発生予測量を1万トン下方修正させました。
構成する26自治体は処分場の時と同じ運命共同体として、事実上処分組合に委任、まもなく実証実験が始まり、2006年4月には稼動という段階まで進んでしまいました。 ここまで*服部:記
「循環型社会」への道は拓けるのか? 「循環型社会」への道は拓けるのか?
90年代の終わりから2000年にかけて廃棄物行政にかかわる新法の制定が相次ぎました。 なかでも、2000年5月に制定された「循環型社会形成推進基本法(循環法)」は、その後の産業界のあり方や行政施策の方向性を左右するものでした。
法律は基本理念こそ「環境への負荷の少ない持続可能な社会の形成を社会経済構造を変えることによって達成する」としていましたが、内容は「物質循環」に限定されているため、大量リサイクルが助長されてしまい、問題の多いRDF、そしてごみ発電までが循環利用とされています。 焼却路線を堅持したまま、一方で新世代技術や静脈産業による経済の活性化という経済政策をにらんだものでした。
なによりEPR(拡大生産者責任)における生産者の経済負担が明確でなく、これが容リ法改正論議を硬直化させる要因にもなっています。
法の成立に先立ち、市民グループが市民案を出すなど活発に動き、また円卓会議を開いて(ごみかんも参加)政府や国会へ働きかけましたが、市民向けの公聴会やパブコメの募集もないまま提出され、国会を通過してしまいました。 施行直前に東京と大阪で開かれた環境庁(当時)主催のシンポジウムでは、ごみかんはパネリストとして問題点の指摘と市民側からの提案をしました。
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