宇井純 さんの講演を聴いて

「環境」のもう一つの意味
フレンドリースタッフ 石倉禎二

 

  正面に「宇井純が語る〜環境と市民自治〜『公害原論』から三十年・・・・・
環境の時代は来るのか」という大きな看板が下がっている。
ふと気づいて「どうして“渡辺恭子記念”という字を入れなかったの?」と聞いてみると、「そういうことの好きな彼女じゃないから」という返事が返って来た。
ああ、そうだった、と私も即座に了解すると共に、心優しいこの理事たちの心に渡辺恭子さんが生前そのままに生きつづけていることに目を見張った。

  自発性・無償性・無名性などと常々唱えている私が、迂闊なことを言ってしまったものだ。
死期を悟った渡辺恭子さんが、信頼する仲間たちに寄付という方法で託したその想いを、形として表わしたのがこの講演なのだから、これを成功させること自体が″渡辺恭子記念″であるに違いなかったのだ。

  そして、この時期の宇井さんの講演も演題も、渡辺恭子的にじつに渋いというか、大挙して人が集まるようなテーマでもないのに、朝日生命ホールには平日にもかかわらず四百名以上の人々が詰め掛けたし、講演の締めくくりの彼女の娘さんによる宇井さんへの花束贈呈で充分だった。

 

  頭が真っ白になって現れた宇井さんの話の大筋は、すでに『公害原論』に書かれたエピソードのいくつかを、新しい情報を加味しながらさらに噛み砕いた内容だった。
しかし私は、その語り口の端々から、同じ東大工学部で助手のまま定年退官された依田彦三郎さんのことを思い出さずにはいられなかった。

  1997年2月に彼は、自分が関わってきた十指に余る運動体から東大工学部へ聴講に馳せ参じた市民を前に、前代未開の最終講義「廃棄設計学にたどりつくまで」(ごみっと・SUN』1〜3号掲載)をやってのけていた。

  この二人の、公害問題を切り口にして産・官・学トライアングルの<腐りきった構図>をわが身に引き込んで告発するという語り口が、じつにそっくりなのだ。

  そして宇井さんの『公害原論』もまた必然的に、日本という国の<特殊な、あるいはいびつな>民主主義を論ずるしかなかったし、さらに日本という国の文明の質そのものを論ずることにならぎるを得なかったのである。

  折りしも国政選挙の真っ只中にあって、今やどの政党も″脱官僚支配″を口にしなければ無党派層(本当はそんなものは存在しないのだが)の支持を得られないという状況が出現したかに見える。
しかし私たちはそうしたマスコミのムードや言論の策略に惑わされてはいけない。
私たちはもう、環境に関するいかなる市民運動にも政治的(相手方は極めて政治的な手段を駆使して制圧を試みる)な壁が存在することを学んでしまったし、私たちの依拠するNPO法には、その肝心の政治性を奪い取る装置が用心深く仕掛けられていることも知っているのだから。

  時間が来ても、宇井さんが言い足りなさそうにしていたことの一つは、演題の「環境と市民自治」に込められたメッセージ、つまり″あなた方の本当の出番はこれからなのだよ″ということではなかったろうかと、ひそかに想い続けている。


この日の宇井純さんの講演は、講演録としてまとめました


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