ごみっと・SUN46号
JR徳島駅から車で南西に約1時間。山林に囲まれた人口2,200人足らずの過疎の町に、2003年度、194団体2,103名もの人が足を運びました。
全国から注目を集める徳島県勝浦郡上勝町は、2003年 9月に「ごみの再利用・再資源化を進め、2020年までに焼却・埋め立て処分をなくす最善の努力をします」という「ゼロ・ウェスト(ごみゼロ)宣言」を出して一躍有名になりました。
上勝町にはごみの収集車が走っていません。 町民の大半はごみや資源を車で町の中心部にある「日比ヶ谷(ひびがや)ごみステーション」に運び込みます。 車を持たない高齢者世帯などは持ち込むことが難しいため、助け合いが生まれています。 まだごみが野焼されていた頃、廃食油から石鹸を作る活動をしていた中山多与子さんは、講演会でダイオキシンの話を聞き、自宅周辺でごみを燃やす町民に不安を覚えました。
そこで、町の広報を使って「ごみを運ぶ人と運んでもらう人」を募ったところ、前者は74件、
当初、元職員で現在教育長を務める高橋伸幸さんが1年の試行期間で「やってみよう」と持ちかけました。交代制で3戸(3人)1組、2戸は車のある家、残る1戸も同乗してステーションでの分別を手伝います。
「ステーションに行くことでみんなの分別の意識も向上した。月に1度でもお年寄りの様子が分るし、他の人と話す機会もできた」。
町は、ごみにお金をかけないことを基本に、あとに出てくる上勝自慢の「34分別」が揺らぐとして、収集することは考えていませんが、何も問題がないのでしょうか。まちづくり推進課の星場眞人課長は「若い人など10%位は分別が徹底できていない」と話します。
秋本恵一町議はかって「ごみ収集は町の仕事ではないか」という質問を出しています。 また、町ではごみの運搬を無料では頼みにくい人のために、入会金1000円、1回4袋525円を払ってシルバー人材センターに運んでもらうという試みを始めましたが、思うように進んでいません。
「日比ヶ谷ごみステーション」は、入り口の大きな看板と小屋の壁面に掲げた「2020年までにごみゼロに」と書かれた赤い旗が目印です。 屋根を覆っただけの自転車置き場のようなところに、コンテナが並んでいます。 コンテナの上にはごみの種類ごとに、番号と資源の名前を書いた紙が貼ってあります。(下表参照)
持ち込む時間は年末年始を除き、毎日午前7時半から午後2時までとなっています。 2名の職員が交代で分別の世話をするほか、コンテナに溜まった缶類を機械でつぶしたり、紙類を束ねたり、白色トレイを溶かしたり、さまざまな作業もこなします。
圧縮された缶類は他では見たことがないほどきれいな仕上がりです。
壁に掲げたパネルを見て…「あれ?」。
小屋の裏手には何やら細長い箱が…。ふたを開けると、長短2種類の使用済み蛍光管が寸分のすきもなく収まっていました。
別棟には可燃ごみの圧縮機が置いてあります。「どうしても燃やさなければいけないもの(可燃ごみ)」が入った45リットル入りの袋は機械で圧縮します。 そのため、紙おむつとナプキンまで分けざるを得ません。 平たく圧縮された袋は月2回、運送会社が受取り、JRのコンテナで山口県福栄村に運ばれます。民間会社の焼却施設で燃やされ、最終処分は同じ山口県の小野田市にある民間の処分場です。 四国には一般廃棄物の処理業者がなく、県内の他の市町村も同じ業者に委託をしています。
20033年9月に上勝町が出したゼロ・ウェスト宣言の前文には、町がおかれたごみ事情が詳しく載っています。
さらに、徳島県と市ほか16市町村で進める処分場計画も同じく分担金の面で疑問を投げかけています。
さて、生ごみはどうしているのでしょうか。 19911年から補助を行なっていた屋外用のコンポスト容器を合わせた普及率は98%、町のほぼ全量の生ごみが堆肥化されています。 処理機とコンポスターを併用するところも多く、約800世帯のうち500世帯は兼業農家なので堆肥の使い道に悩む必要はありません。
また町内の飲食店、生鮮食料品店など6店は「めばえ生ゴミ組合」を作り、1997年からステーションの別棟に設置した大型の業務用処理機で、事業活動で出る生ごみを堆肥にしています。
生ごみは投入前に重さを計ってノートに記録し、2人1組で当番を組み毎月1、10、20日に堆肥を取り出して袋に詰めます。
まとめ役の中岡祺量さんは「魚のアラやワタ、野菜くずなどをほぼ毎日持っていきます。
町のごみ処理量は、焼却ごみは焼却炉を廃炉(後述)にして34分別が始まった2000年から激減しています。 2000年度の約150tが翌2001年には半分の約70tに減少しました。 逆に資源ごみは1998年の約165tから、2003年には約272tまで毎年増え続けています。
1人あたりのごみの年間排出量は150s。1日に換算すると、410gで、全国平均約1sの半分以下です。
一方、焼却・埋め立てにかかる費用は2003年度約2000万円(うち県外処理料は450万円)、リサイクル費用は470万円。 2004年度28億8900万円という一般財源における処理費の節減は、ごみを運び込んで分別する町民に対し、大いに説得力を持っています。
今でこそ「ごみゼロ」宣言で有名になった上勝町にも、紆余曲折の歴史があります。 現在、ごみや資源を運び込んでいるステーションの場所に、1970年当時は大きな穴が掘られ、町民はごみを持ち込んでは燃やしていました。 24時間投入可能の、いわば公共の「野焼き場」です。黒煙がたなびいて周辺住民の苦情は絶えず、1998年10月に穴を閉鎖し、同年に0.9tの超小型焼却炉を2基設置しました。 しかし、ダイオキシン類対策特別措置法が2000年1月に施行されたのを機に、炉は閉鎖されました。
まだ撤去されずに置いてある炉はどう見てもダルマストーブをそのまま大きくしたような、ただ燃やすだけで排ガス除去装置も何も付いていないシンプルなものです。
一方で、93年に実施したごみの排出量調査の結果、ごみ量の3割を占める生ごみの削減を検討。95年にある電機メーカーが開発中だった生ごみ処理機のモニターとして協力し、その後大量に引き受けることを条件に、12万円の処理機を半値に交渉して見事に成立。
ごみゼロ推進のもうひとつの柱は、ごみを出さない仕組みづくりです。 笠松和市町長はかって企画室長時代に「上勝町リサイクルタウン計画」を策定しています。 行政マン時代に培ったごみへの情熱は、町長(2001年から)になった今もハンパではありません。
ゼロ・ウェスト宣言は、「国及び徳島県に対して、拡大生産者責任の徹底などの法律や条例の改正、生産者に対して2020年を目標に再処理経費を商品に内部化して負担、再資源化が容易な製品への切り替え」などを求めています。
主旨は「…2020年を目標に、それ以降すべての商品について、消費者が不要になった場合、製造〜販売〜消費の流れと逆ルートで、製造者に消費者から有価で回収することを義務づけ、
約85%の資源化率を達成した今、この先2020年までに、どのようにごみを減らすのか、まちづくり推進課の東ひとみさんは「商店などの事業者に働きかけて、リターナブルびんなどのごみにならないようなものや包材の少ないものを売るようにしていきたい」と話し、やはり矛先は流通・製造段階に向かっています。
まちづくり推進課の若手・松岡夏子さんを事務局に、利再来上勝の中山さんほか町民10名がメンバーです。
ごみの話から脱線しますが、上勝では地域の活性化のため、第3セクターによる雇用確保に力を入れています。 なかでも、ごみ以上に上勝を有名にしたのが「彩=いろどり」です。和食などにあしらって季節を演出する紅葉、南天などの葉っぱや梅、桜などの花をつまものと言いますが、上勝町では「彩」と名づけてJAを通じて出荷し、全国の料亭などに届けています。 シェアは全国の8割、年間の販売高は2億5千万円にも上ります。町民は「狸がだまして、葉っぱをお金に変える」と屈託がありません。
働き手はほとんどが女性で高齢者が多く、80歳を超す女性が年収1000万円を稼ぐなど、「彩」はテレビでも度々紹介されています。孫に家を建ててあげた、10年かかって育つ苗木を植えた、誕生日に地下足袋をもらった、と高齢者とは思えぬ元気な話には事欠きません。
昔懐かしい雰囲気がいっぱいの旭商店街にある亀井商店は見学者が必ず立ち寄る名所で、
集落で助け合いながらごみを運ぶ高橋さんは、中塚地区に住む方々と昨年の夏にホタルの鑑賞会を開きました。
上勝町は過疎と高齢化が同時進行で進む町とは思えないほど元気でした。小さな町の大きな挑戦に心からエールを送りたい。 ごみ・環境ビジョン21理事 服部美佐子 |