生ごみ畑を出発点にごみ行政13年
目指すは「脱焼却・脱埋め立て」

国分寺市環境部生活環境課
課長 堀井忠さん

 

  自治体の職員は3年から長くて5年ほどで、全く違う部署へ異動するのが通例となっていますが、ごみかん事務所がある国分寺市の市職員・堀井さんは長い間ごみ一筋にがんばってこられたごみ行政のベテランです。
  職場に伺って、堀井さんからごみをめぐるお話をいろいろ伺いました。
あと3年で定年を迎えられる堀井さんのお話は、現場を歩いてきた人らしく説得力があり、「市民との協働」で培った自信を感じさせられるものでした。

煙や煙突が認知されていた時代もあった

  ごみの担当に配属されたのはH3年(91年)です。当時は世間一般にはごみなど関心がなくて、集めて燃やして当たり前という時代でしたね。今では信じられませんが、煙も煙突も住民に認知されていましたよね。
  勤務先となった国分寺市清掃センターの焼却炉が建ったのはS60年(85年)です。その頃、センターの周辺は森で民家は全くありませんでした。
ダイオキシンの「ダ」の字もまだ知られていない時代で、だんだん周りに家が建ち始めすぐ側まで住宅の方から近づいてしまいました。(笑い)こんなに民家が接近している焼却場も珍しいですよね。
  今のところ別に問題は起きていませんが、施設が老朽化したから新炉を造ると言ったら、周辺住民は間違いなく反対するでしょう。だからと言って市内に他の場所などあるはずもありません。
  職員は徐々に世代交代をしていきます。だからこそ、これからの廃棄物処理について今から考えていくことが必要だと思います。
10年ぐらい前に東村山市が「脱焼却、脱埋め立て」という計画を作りました。それが今になってようやく可能性として見えるようになったのではないでしょうか。

市民主導のごみ減量アクションプラン

  今年の3月までリサイクル推進課にいましたが、そこで策定したのが「ごみ減量化・資源化行動実施計画](H15年11月)つまりアクション・プランで、最終的に「脱焼却、脱埋め立て」を目指そうというものです。
 そのために、H18年までに何をしようかという計画を作りました。プランとしていろいろ並べていますが、もうやっているのもあるし、これから始めるものもあります。
「ごみ処理基本計画」(11年策定)の中で、実施計画を作るにあたって市民に集まってもらおうということになり、他にも事業者や東京経済大学の学生にも集まっていただいて好きに議論をしてもらいました。
 進めていくうちに部会に分かれたり勝手に?視察に行ったりして、12年から13年末まで約2年続きましたね。やっとまとまって、廃棄物減量及び再利用推進審議会(学識者など18人で構成)に諮問して答申をいただきました。その後、議会でも承認されていますから、きちんと段階は踏んでいます。
  報告書の巻末に表がありますが、6〜7割は今までやってきた事業を拡大するか、中身を充実させていくことです。

こだわりの事業者回収

  この中にリサイクル協力店制度というのがあります。
これは事業者に店頭回収をしてもらおう、というものです。企業が作ったもの、家庭で消費したものを何でも税金使って処理するのは違うのではないか、国分寺市として何か取り組めないかということで協力店を広げています。
  一つだけでいいから、こだわろうということで、ペットボトルと白色トレイ、この2種類は店頭回収をしてもらって、市は一切ステーション回収していません。
普通の自治体は、店頭回収に加えて行政回収をしていますから、そこが全然違います。やっているのは、せいぜい市内の公共施設30〜40箇所の拠点で回収しているだけです。
  初めは議会や市民からどうしてステーション回収をしないのか、その方がたくさん集まるという意見がでました。ですが、集めるのにはお金がかかる、つまり税金をたくさん使うことになります。
生産者や販売者がお金を出して回収しないと、本当に責任を取ったことにならない、と説明して最終的には納得してもらいました。
 ペットボトルとトレイは事業者に店頭で自主回収し資源化してもらう、行政は率先的に集めない、というのが国分寺流です。

国分寺方式は市民の実行部隊と二人三脚

  かし「事業者として税金を払っている」または「市民が出すのだから家庭ごみである」というクレームはあります。そこで、市民に交渉してもらいました。つまり、店舗にはその店で買い物をする人に話をしてもらいます。
  こういうことは行政では無理です。行けば、「店の持ち出し(負担増)は困る」ということになって間違いなく交渉は決裂してしまいます。まして今は不況ですから、作戦を立てて、実行部隊としてお店で買いものをする人たちを組織してやってもらっています。
  50店舗から始めて今は皆さんががんばってくれているので、100店舗を超えていると思いますよ。スーパー、コンビニはもちろん、商店の中にはクリーニング店や不動産屋もあります。
地元の人たちはペットボトルやトレイを持っていったら、その店で買うようにする、そうすればお店にとってもメリットになります。
  商店街でリサイクル協力店ののぼり旗があるお店は活気があって、ないとお客さんが来ない、という具合になっていけばいいと思っています。
協力店の方が得をするようになっていけば、どこも協力するようになりますからね。

事業者ができることを出向いて説得

  そうはいっても、実際問題として事業者は厳しいですよ。例えば、コンビニには、直営とフランチャイズ方式のふた通りあります。
直営の場合、ごみ処理費用の負担はオーナーの実費負担ですから、処理業者にはkgいくらで委託をしています。ところが、フランチャイズは本社で一括して委託するので、一袋につきいくらと決まっています。その分は売上げから引かれる訳ですね。
  そういったコンビニには職員を派遣して、何かできることはないか相談しています。
例えば、レジ袋をすぐに出さないようにするよう、マイバッグキャンペーンを社員研修でして欲しい、とか。そういうできるところから始めてもらいたいと思います。
  行政が自ら出向く場合と、市民の実行部隊と、そこは臨機応変ですね。

回収することより容器の無駄をなくすこと

  リサイクル協力店は大型店が11店舗ですが、47店の参加協力店名を市報に掲載しています。回収ボックスもお店の自前です。
  店頭回収といっても、事業者はボックスをおいて一時保管するだけ、実際は行政がボックスも回収も面倒みているという自治体が多いですが、ここまでやっているのは三多摩では国分寺市だけでしょう。店舗が「店頭が容器でふさがっちゃう」とメーカーに苦情を言うようになればいいと思っています。
  理想ですが、スーパーやお店は地元の人が育てる、という発想です。
住民と相談して、そのお店では「白色トレイはこの種類だけに使って、この商品には要らないから別の容器に変えよう」と無駄な容器を省いても、住民が納得していれば問題はありません。価格競争の時代ですから少しでも経費が助かればいいですよね。
 国分寺の中でどこまでできるか、やりきっていきたい。三多摩の市長会で意見を上げて、広げていければもっといいですね。

苦渋の選択「ペットボトル半分は不燃ごみ」

  しかし現実には、ペットボトルの大半は不燃ごみになっています。市には限られた予算しかありません。資源として回収に手を付けたら費用は増えるばかりです。
  ステーション回収の場合、ある自治体では年間140〜150t集まると聞いています。
国分寺市の店頭回収は各自回収してもらっているので、把握できていません。公共施設などの拠点回収は40箇所で年間19tです。
  ある大型店では20t/年というデータがありますがここは特に多いので、大型店11店舗の合計が約70〜80tぐらい。
それ以外の店舗回収の合計が20tぐらいですから、合わせて120tぐらいですね。きっと半分以上は不燃ごみになっています。
  メーカーの費用負担を問うためのぎりぎりの選択ですが、やむを得ないと思っています。

もともとリサイクルできないものが多過ぎる

  その他容器包装プラスチック類は川崎市の昭和電工に運ばれて、アンモニアガスを作る石油の代わりに使われています。
ここは元々使っていた石油の量を半分にして、プラスチックを受け入れています。プラスチック用のプラントを新たに造ったのですが、建設費の約半分は国庫補助金だそうです。国が半分も面倒を見てくれるし、市町村が集めてくれるのですから、儲かるはずですよね。
  リサイクルという言葉はいい響きですけど、市民にも現状を知らせないといけないと思いますね。お金がかかるということを。ヨーロッパでは企業が考えないといけないようになっています。リサイクル技術を革新していってもきりがない。
  例えばタバコのパッケージは七層になっています。
PEもPPもPVCも使っています。これだけしないと、中身が保持できないのかもしれませんが、リサイクルとなると面倒です。複合素材でなければ困る人は、それだけ費用を負担しないとおかしいですね。

始まりは生ごみとの運命的な出会い

  13年前に清掃センターに飛ばされた(?)時は、ごみに来ちゃったかという感じでしたね。(笑い)今のように注目されていませんでしたから。
その後、ごみ減量対策、生活環境課、リサイクル推進課。
昨年からまた生活環境課に戻りました。
  異動してきて、初めて手掛けたのは設置型のコンポスターでした。その頃、他の市では、これに助成金をつけて斡旋し始めた頃で、うちの市でもやろうということで、飛びついたんです。約1,000基ぐらい斡旋しました。
  ところが使い方も適当でしたから、虫が湧いたという苦情が相次いで、こっちはあわてて「殺虫剤を撒いて、ふたは開けないでください」なんて。今だから笑えますが、無茶苦茶な対応をしていましたね。
  これではいけない、と考えている時に、H6年に製造業者の大橋さんとの出会いがあり、協力を得て「コンポプランター」という改良型を扱うことにしました。
それから国分寺市オリジナルの「ごみけし君」シリーズの共同開発へとつながっていく訳です。助成金だけつけて、あとはメーカーに聞いてください、では無責任ですよ。国分寺でできることはないかな、という発想が大事です。
  何だかんだ言ってもプラスチックは一応処理する方法はあります。でも生ごみは手強い。強敵ですね。(笑い)

自宅の庭を生ごみ専用畑に!

  生ごみはできた堆肥の出口を開拓しないと。なんと言っても出口ですね。例のコンポスターの苦い体験もあって、一念発起しました。その頃は生ごみから目が離せなくなってましたから。(笑い)
  自分でやってみないと何にも言えないと思い、青梅にある自宅の庭にあった花をざーと取っ払って、生ごみ用の畑にしました。我が家の生ごみでは足りないので、11軒ある隣組に頼んで、休みのたびに生ごみをいただきにいきました。
 大橋さんと一緒に菌まで作っていましたから、穴掘っては生ごみ入れて菌を入れて、それを半年ぐらい続けました。土作りを続けて、やっと1年半後に野菜を収穫しました。
  その前に農家の人に会って話しましたけど、全然知識や畑の体験がないものだから、質問されても答えられない訳です。これではいけないと思って自分で始めたんです。そもそも生ごみは嫌いじゃない。分解して土に戻っていくのを見るとぞくぞくしますよ。
  虫が湧くのは、程度にもよりますが当たり前です。小バエぐらいはいないとおかしい。でもそれがだめな人は、自家処理はやめた方がいいと思います。生理的に無理な人ですから。

市民パワーを引き出すコツ!

  一般的に行政職員は市民との協働といっても、どう協働していいか分からない。その点、環境行政の方はずっと前から経験があります。
  そもそも市民の協力なしには、ごみはどうにもなりません。
ごみ問題は7〜8割が市民の役割です。行政のできることは処理に関することだけ。行政が8割やっているという錯覚を持つと、機械に走っちゃうんです。
  よく言われますが、大事なのはパートナーシップ、市民にやっていただくようにしないとごみ行政はうまくいきません。市民は一枚岩じゃないから、行政は調整役をします。私の場合はやる気のある人のパワーをお借りしています。
  「ごみけしくん」のビデオも、制作費5万円でできたんですよ。市民力の結集の賜物です。その力をいかに引き出すかが大事です。
リサイクル講座の修了者で希望する方をごみ減量等推進員に任命したり、レベル向上のために研修会を実施したりもしています。
  また「生ごみ堆肥化教室」の受講生の自主研究グループには、活動支援として市民農園を経済課から借り受けて、できた堆肥を活用する研究のために使用してもらっています。自家処理の方法についての解説書も協働で作成しました。
以前NHKにも取り上げられたことがあるんですが、清掃工場の煙突に夏は花火の、冬はクリスマスツリーのイルミネーションを飾っています。
  これは職員のボランティアで、市民の皆さんへの感謝の気持ちでやっていることなんですが、電気代が無駄だという声もあったりして、今年で廃止です。
なかなか難しいですね。ちょっと残念です。

聞き手&まとめ ごみかん理事:江川美穂子、服部美佐子


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