新春インタービュー
社会を変える市民運動をサポート
市民立法機構 共同事務局長
須田 春海さん

 

  須田春海さんたちが20年ほど前につくられた「市民運動全国センター」(東京都千代田区)の
フロアーには、気象ネットワークを始めとするNPOが同居しています。
これまでにも多くの市民がセンターに集まり、さまざまな市民運動が育っていきました。
今年「ごみ・環境ビジョン21」が最も力を入れている「容器包装リサイクル法以下、容リ法)」の改正運動。
センターには「容リ法の改正を求める全国ネットワーク」の事務局がおかれ、須田春海さんが事務局長をされています。

  新春インタビューは日本の市民運動をリードしてきた須田春海さんにスポットを当て、今後の市民運動についてお話しをうかがいました。

☆ 今では市民運動の生き字引のような須田さんですが、原点を教えてください
   私は60年安保の世代ですから、その当時、連日のように国会に通いました。
やがて運動が下火になって、世の中を変えるには国家型ではなく、自治体を改革する運動が必要だと考えるようになりました。
大学を中退して都政調査会というところに入って、美濃部都政と出会い、条例づくりなどに関わりました。
でも「市民自治」という観点からは不満が残りましたね。

☆ そこで「市民運動全国センター」をつくろうと思ったのですね
  美濃部さんが参議院選に出ることになり「市民運動のためのセンターをつくること」を条件に手伝いました。
美濃部さんが当選して、80年に数人の世話人で一軒家を借りました。
センターの中心的な人物がいろんな理由で次々いなくってしまい、結果的に私が残りました。

☆ 家賃とか、運営費とかはどうされたのですか
  当時はセクト色が強かったのでてあえて会員を持たず、組織をつくりませんでした。
結果的にはそれで長続きしたと思います。
どんな市民運動にも必要なのが場所と印刷、そしてロビーイング。それらを確保するために編集、印刷、宣伝の会社である「生活社」をつくりました。
だからセンター=生活社です。
働きながら、市民運動をすることにしました。

☆ そして、いろいろな市民団体が集まって来た訳ですね
  今は各団体も家賃負担能力が生まれましたが当時はほとんど無料です。
また、センターの名前は出来るだけ使わない。個々の運動にはできるだけ関わらないとこれが二大原則。周りで批判する人もいましたけど。
市民運動とは本来やむを得ずやるもの。
がんばる人をサポートするのが一貫したスタンスです。

☆ 市民運動をサポートするという発想は、その当時は珍しいと思います。
 とは言っても、運動に全く関わらなかった訳でではないですね
  自分のやりたい運動はしてきました。
80年代は、「暮らし変えたい連続行動」つまリライフスタイルを変えようという運動があって、そこで有機農業や生活協同組合と接点ができました。
それから90年の直前になると、地球環境をやらざるを得ない状況になった。
90年から2000年までの10年間アースデイ(4月22日・地球の日)をやりました。
10年の間、代表も専従も置かずにボランティアだけで3,000通のニュースレターを出し続けたのです。
すごいことですよ。

  その過程で自治体の政策に環境の視点を取り入れる「環境自治体」の運動を自治労などと始め、会議もスタートしました。これは発展しています。
約4,000箇所で自主的に行なわれたアースディは2000年で一区切り、連絡所は翌年解散しましたが、いまでも全国で続いてます。

☆ 一口に市民運動といっても、いろいろな運動があると思います
  私は福祉やまちづくり、ごみといった自治体での改革運動を目指していました。
課題別に解決に取り組むのが市民運動であって、相手に楔を打ち込む反体制運動とは違いますから、目的が達成されれば解散するのが当たり前です。
だから、また新しい運動が育つわけです。

☆ 直面している課題に捉われ、単なる地域紛争で終わってしまう運動が多く、
 日本には諸外国に見られる市民運動が育ちません
  確かにそうです。それはひとえに、市民の権利が制限されているからです。
まず立法する権利がない。自治体の権能も低い。
廃棄物関連施設の建設は市区町村の固有事務なのに、厚生省の技術基準に従わざるを得ない。すべて中央集権的です。
市民・自治体が思うようにルールをつくれない。

  さらに政府が法に違反した時に守らせる権利が市民にない。
例えば、イラク派兵は明らかに憲法違反です。少なくともイラク特措法違反であることは間違いない。
ところが差じ止めることができない。市民訴訟で行政に命ずることができません。
また政府のあり方について行政が自らサービスを評価する閉鎖型です。
つまり市民による政策評価のしくみがありません。
だから運動は感情的なものになってしまう。「身体を張る」しか方法がないのです。
こうなると、ルール以前、法以前の問題です。

☆ だからごみ問題も、根本的な解決に至らないのかもしれません。
 運動が終わってしまえば、次に継承されず、また一からやり直し。
 社会を変えるような大きなうねりにならない
  事業型の運動は比較的うまくいっていますよ。ただ欠点は、緊張感がなくなると、行政の下請けの事業体になってしまいます。
難しいのは権利擁護型の運動。情報公開の運動などがそうです。ずっと人もお金も増えません。でも、インターネットの普及で変わってきましたね。
政策提言型も課題別にコアができてきました。センターも早く解散したいと思つてますよ(笑い)
全体的に見れば、30年前に比べるとずっとよくなっています。
それと、運動体にサービスするかたちの運動がでてきています。センターもそうです。
大いに期待できる。情報を蓄積してサポートできるから、運動も継承していけるし、力がつきます。
ネットに載せれば、条例づくりなどの意見交換もできます。

☆ ごみかんもそうした運動をめざしてきました。
 一般のというよりも問題意識のある人に向けて情報を発信し、
 結果として運動をサポートしています。
 もちろん運動の主体であることは止めたくありませんけど
  91年に若い女性が少人数で始めた「フロン回収義務化の運動は、10年経って見事に実を結びました。
一方、廃棄物問題は10年どころではありませんが、運動体の数は多いのに意見がまとまらず、未だに思うようになっていません。

☆ 容リ法もごみ問題ですが、どうなるでしょう
  今度はうまくやりたいですね。
使い捨て容器はつくりっぱなし使いたい放題で、廃棄物を減らそうと一生態命やっている企業・自治体?は負担が重いなんて、どう考えてもおかしい。

  業界の圧力が強い自動車リサイクル法でも購入時の負担が実現したのですから。
ただ、自治体の回収ルートを痩せさせないようにしないといけない。
ここを注意しないと今の政府には、方向違いな対立に持っていかれてしまいます。
「全国ネットワーク」ががんばらなければ…。

☆ 費用負担の問題であることは、はっきりしています
  トータル経済で考えれば、生産段階に負担を求める方が社会的なコストを下げ、結果的に消費者がかぶる費用も減ります。
社会全体にとって、容リ法は変えたほうがいいことは間違いない。

☆ 最後に、市民運動は財政基盤がないため、手弁当にならざるを得ません。
 これからの若い人が運動できないのではないかと、危惧してます
  ごみ問題をずっとやっている人には議論好きが多い(笑い)。
その反対にクリーンアップなどごみ集めのグループには、若い人や子どもがどんどん集まってきた。
これからは頭でっかちの人や捨えばいいだけという人が混じり合って、仕組みを変えようという方向に向かっていきたい。

  会費で運動を自立させるのはどんな場合でも至難の業。とは言っても、運動のための事業は甘えがあって長続きしません。事業は事業として割り切ってやらないと。
若い人に引き継いでいける市民運動をどうやって作っていくか…これからの課題ですね。


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