ごみっと・SUN 32号 環境のまちづくり 『ドイツ・フライブルグ』 後編・PART2 ごみ・環境ビジョン21
今回のツアーで最も刺激を受けたのは、Vauban地区のエコ住宅と人々の暮らしぶりでした。 1992年、フライブルク市南端の38haのフランス軍基地跡「ヴォーバン」がドイツ連邦に返還され、フライブルク市が買い受けました。 ここを持続可能な地区にしたいと願う市民が1994年にNPO「フォーラム・ヴォーバン」を立ち上げ、都市計画に対し市民参加の道を開きました。 住宅計画を進めるにあたり市から委託を受け、まずエコロジカルで社会的に意味のある建物を建ようということで、希望者に情報を提供したり、入居者のコーディネートをしてきました。
まず初めに、省エネ効率の著しく高いパッシブハウスと呼ばれる住宅のひとつを見学しました。 トイレは飛行機などでお馴染みの真空トイレを設置、通常なら6リットル使用する水を1リットルに節約して、さらにバイオガス装置への利用を計画しているとのことですが、残念ながらまだ稼動していませんでした。
地下に設けられた洗濯室にはソーラーコレクターで暖めたお湯を使うエコロジカル洗濯機が2台あり、身体の不自由な方を除く全員で共用しています。 訪れたのは平日の午後でしたが、色とりどりの野菜やパン、オリーブの実を並べた市では、打楽器の演奏やアートの展示もあり、人々が入れ替わり立ち替わり集っていました。
中央の通りヴォーバンアレーは車が時速30Km/hに制限されており、両側が駐車場になっています。地区内には他に2つ駐車場があります。車乗り入れ禁上の居住区が多いのです。
どの住宅にも花が溢れ、公園や道端でたくさんの子どもたちが裸足で遊んでいました。
ヴォーバンの幼稚園は2歳から6歳までが6クラス130名、小学校は1クラス15名の構成になっています。
フライブルク市の「ごみ経済の基礎データ2001」によると、ごみも含む紙、プラスチックなどの資源化量は275kg/人/年、それ以外の処分量=埋立て量は158kg/人/年で、両者を合わせると433kg/人/年になります。 この数字はフライブルク市の市民一人あたり1年間のごみ発生量と見ることができますが、日本の場合、市町村によって違いはあるものの、一人1日、約1kg前後ですから、データ上はごみの発生量があまり変わらないということになります 。 ただし、多摩地域の資源化率でさえ20数%ぐらいですから、比べものになりません。
フライブルク市の家庭や事業所からでたごみは「フライブルク・ごみ経済及び清掃有限会社」が収集を一手に引き受け、運ばれたごみは敷地内に集められます。
【リサイクリング・ホフ】
隣接して、リサイクル施設である「リサイクリング・ホフ」があります。ここも市の施設ですが、民営化されています。このようなセンターは市内にあと2ヶ所、約250名の従業員が働いています。
毎年ゴミカレンダーを発行し、2枚のハガキが添付されていて、市民は出したい粗大ごみに印をつけて返送すると、取りに来るようになっていますが、大半は市民が自ら持ち込みます。
また、日本ではすべて可燃、不燃と一括りされそうな、カーペット、金属片、剪定枝、ベッドの枠、ベニヤ板、プラスチック製品、コルク、アルミ、洗剤の容器など、大小のコンテナに分別されていました。 自発的な市民と民間企業との連携がなんともうらやましい限りでした。
【注目のBKF】
次に15分ほど歩いて、辿り着いたのが生ゴミガス化・堆肥化施設「BKF」。通りから目に付くのが、聳え立つ円筒形のタンク。11,000m2の敷地内に入っても臭いはほとんど気になりません。
早速、事務所でお話をうかがいました。
ピットに集められた生ごみなどの有機物は粉砕され、水分を加えて55℃に加熱し、ある程度分解します。
プラント稼動に使った残りの電気は売却しています。年間量は400万kwで360万ユーロ(9ユーロ/kw)。
1996年12月にBUNDの設立者の一人、エアハルト・シュルソ氏をお呼びして、開催したフォーラムがごみかん誕生のきっかけになったのですが、その当時、BUNDの会員数は約25万。 今回、伺った南ライン上流支部の事務局長アクセル・マイヤー氏によると、現在その数は37万人。7年足らずの間に12万人も増えていました。
20名以上は集えるという事務所の壁には森林や鳥の保護、遺伝子組換えや原発の反対行動などのパネルが…。
この日、マイヤーさんはスイスにある核廃棄物最終処理場の計画に反対している関係者との会合に出かける予定でした。
滞在中の週末は、黒い森のふもとにある小さな町シュタウヘンで、地元の環境団体のメンバーと交流会を持ち、ホームスティを体験しました。
まず、石畳を踏みながら、小高い丘の上にある城壁へ散歩に。水路が流れ、窓辺に色とりどりの花が咲き乱れる町並みは、時を忘れさせます。
各々分宿をした翌日は一緒に黒い森の出に登って、ハイキングを楽しみました。
1週間足らずの滞在でしたが、ドイツに関する知識や情報が生きた経験と置き換わったような気がします。
最大の収穫はそうした“市民力”に数多く出会えたことかも知れません。 ドイツ・フライブルク市の記事と写真はこちらにもあります。
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