ごみっと・SUN 30号
中東ごみ事情  [特別編]
「ゴミの異臭」を通してパレスチナの惨劇に近づく

田浪 亜央江

  このところマスコミでも大きく取り上げられている、イスラエルとパレスチナの対立。皆さんの目にはどのように映っているのでしょうか。
根深い宗教対立で、理解するのはとても難しく、そして私たちの日常生活には関わりのないことのように見えるかも知れません。

  細かな背景の説明はここではできませんが、一つだけ強調したいのは、イスラエルとパレスチナが「対等に」戦争をしているわけではないということです。イスラエルは35年の間、パレスチナを占領し続けています。

  圧倒的な軍事力を持つイスラエルに比べ、国家ではないパレスチナは軍隊を持っていません。
巨体を持った大人が幼児に殴りかかり、幼児が抵抗したのを誰かが見とがめて「喧嘩両成敗」だと言えば、それはフェアではありません。

  ではパレスチナにも軍隊を作りましょう、となってしまうのではなく、双方が武力に頼らない解決方法を探すしかない、と私は思っています。

  難民キャンプでのパレスチナ人の暮らしを想像してみてください。
男性の仕事は、イスラエルの町や近くの農場での日雇い労働、契約労働、運転手などが多く、産油国に出稼ぎに行く場合もあります。

  最近では外で仕事をしたり職業訓練を受ける女性も増えてきましたが、家の中の仕事も、やはり女性が一手に担っています。
子どもたちはUNRWAN(国連パレスチナ難民救済事業機関)の運営する学校に通います。

  このUNRWANは、学校の運営、食料や生活必需品の援助、職業訓練を行うほか、最低限の公衆衛生を維持するための仕事もしています。
しかし難民キャンプの生活を少しでも知ると、私たちの日常生活が、いかに行政による保護や介入といったものに守られているかということが良く分かります。

  UNRWANの事業は「救済」ですから、私たちが権利意識を持って行政に対するのとは全く違う、受け身で時には屈辱的な関係を強いられることになります。
キャンプでの環境や公衆衛生に関して、UNRWANの報告を要約してみましょう。

  『UNRWANは、下水道や家庭用水の管理、ゴミの収集と廃棄、害虫やネズミ駆除などの基本的な公衆衛生に関する基本的な業務を行っています。
しかし多くのキャンプは非常に衛生状態が悪く、まだまだやるべきことがたくさんあります。
1993年ガザ地区で、上下水道網とゴミの廃棄収集の組織化などを行う特別プログラムができました。ガザでは下水道の汚染物が、人々の健康を脅かし続けてきたのです』

  私はガザに何度か行きましたが、冬や春の訪問が多く、酷暑の中長期間ガザで過ごしたことはありません。しかしたった3、4日でも、夏場にガザの難民キャンプで過ごすことの苦痛は、結構なものでした。暑いのは仕方がないですが、生ゴミの臭いやハエ、蚊には閉口しました。

  普通の第三世界の田舎なら、それはそれで慣れてしまえば心地良いのでしょうが、難民キャンプは人口密度が異常に高い、不自然に「人工的な」場所なのです。私はゴミ問題には全く疎いのですが、その時の経験から、ゴミがきちんと収集・廃棄される環境で暮らすこと、耐え難い生ゴミ臭の中で暮らすことを強いられないことは、人間の尊厳に関わる、非常に大事な権利だと思うようになりました。

  さて、私自身が「パレスチナ問題」に関わるようになって早くも10年近くが流れようとしていますが、現在パレスチナで起きている事態ほどひどいことは、この10年の中で初めてです。

 「ジェニンの虐殺」についてはマスコミでも大きく報道されたので、心を痛めている方は多いでしょう。
しかし酷いことはジェニン以外でもあちこちで起こり続けています。また、死者の数だけで事態の悲惨さを推し量るのでは、パレスチナ難民が今現在経験していることに近づくことはできないでしょう。

  ご存知の方も多いでしょうが、イスラエルの現首相シャロンは、1982年のベイルートでのパレスチナ人虐殺事件が起きたときの国防大臣でした。
直接彼が手を下したわけではないにしろ、シャロンには指導者としての責任があります。
最近になってシャロンを戦犯として起訴する動きがベルギーでありましたが、国家の現首相を裁くのは難しく、頓挫しかけています。

  82年の虐殺では、およそ3,000人のパレスチナ人が虐殺されました。しかし現在にとって最も大きな問題は、20年前にこのような出来事があった、それと同じことが今また繰り返され、国際社会がそれを許してしまっている、ということです。

  当時パレスチナ人の虐殺が伝えられたのは、傑出したジャーナリストやカメラマンが事態を伝えてくれたことによりますが、その点だけが少しだけ違います。
イスラエルの攻撃のようすや被占領地の悲惨な状況が、今回は多くの無名の目撃者によって伝えられ、インターネットを通じて世界に発信されているからです。

  そうしたものを読むと、パレスチナの社会基盤そのものが徹底的に破壊されているのだ、ということが改めて分かります。
かろうじて生き残った人々にとっても、そうした状況の中で生き続けていくことはどんなに大変なことでしょうか。

  これから夏に向かい、衛生状況がますます悪くなる中で、電気も水も通じないことは、どれほど危険なことでしょう。特に抵抗力のない子どもたちの健康状態は、本当に心配です。

  やはりインターネットを通じて、パレスチナの「公衆衛生研究所」のリタ・ジャカマンさんが、リポートを送ってくれました。
非常に冷静的で客観的なリポートなのですが、それでも大変さは良く伝わってきます。ほんの一部だけ抄訳して引用します。

  『今回の侵攻と外出禁止令が始まってから、二つの大きな衛生問題が未解決のままになっている。
外出禁止令が解けた時に道路に出てみよう。ガラスの破片や瓦礫の山だらけである。そしてとりわけ、ゴミ回収ボックスからあふれ出たゴミがそこら中に散らばっている。

  昨日は30度にまで上昇した気温の中で、蠅が冬の眠りから覚めて飛び始めた。外出禁止令解除の際に生ゴミ回収がされようとはしたものの、今の状況はとにかく健康にとって危険なものであるとしか言いようがない』

  ここで言われている「二つの問題」とはゴミ問題と下水道の問題です。
下水道が普及していない地域では、下水槽に汚物を貯めておくのですが、その回収が全く滞っているのです。

  私はこのくだりを読んだとき、ガザの暑い夏を思い出さずにはいられませんでした。異臭の中のあの夏は、今から思えばどんなに平和でのどかだったことでしょう。

  ゴミとほこりと汚物と死体にまみれた現在のパレスチナ。周囲の人にその惨状を伝えようとする言葉が、私にはなかなか出てきません。
でも、うんざりするようなゴミの異臭から顔を背ける日常のその瞬間に、皆さんにパレスチナのことを是非思い出して欲しいのです。


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