ごみっと・SUN 30号
ごみ山火災がつきつけたこと
埼玉県は首都圏産業廃棄物の中間処理場なんかじゃない!

  私が所沢の産廃問題に関わるようになってから、5年近くが経ちます。所沢がダイオキシン問題の象徴のようになり、一種のブームのように連日報道されていた頃から比べると「最近はどうなったの?」と聞かれることもよくあります。

  『埼玉県は首都圏産業廃棄物の中間処理を担っている』…これは、5年前に「所沢に廃棄物処理施設が異様に集中している。焼却炉からの煙がひどい」と苦情申立に行った場で、県の廃棄物対策課課長から発っせられた言葉です。
  「なんで? いつから? それは誰が決めたの? だから?」
―これらの疑問は未だ私の中で解決されていません。

  当時、所沢周辺では行政が把握しているだけでも大小の民間産業廃棄物焼却施設64炉が操業をしていました。
薄黒い煙があちこちからたなびくのを目にし、その一つ一つの操業の実態がひどいものであるのを見たとき、ダイオキシンを始めとする有害物質被害が深刻であることを実感しました。

  1998年に周辺住民4,000人が結集して、64炉の焼却炉設置業者47社とそれらを許可してきた埼玉県に対し、焼却を止めること、汚染実態調査、汚染の原状回復を求めて公害調停を提起しました。翌99年にはテレビ朝日の所沢産野菜汚染報道があり、所沢産野菜価格暴落事件が起こりました。
 この後、国ではダイオキシン措置法が制定され、所沢市では市税により、焼却炉撤去に対する補助金を出すこととなり、計13炉の撤去に対して約3億円近くの補助金が使われました。
それでもなお、焼却炉の許可を続ける埼玉県に対し、許可取消を求める行政訴訟を起こしています。各施設直近住民が立ち上がり、焼却停止を求める仮処分を申請、業者の操業停止を得た所もいくつかあります。
  公害調停・訴訟は現在も継続中です。調停提起後4年目を迎え、その間、64炉のうち、42炉が操業を停止、操業を続行しているのは22炉と1/3に減り、一定の成果を上げました。

  しかし、まだずさんな処理を続けているところがあります。また、くぬぎ山の1炉が隣接地に汚水を垂れ流し12,000pgTEQ/gの土壌汚染を引き起こしていたことも、住民の調査で明らかになりました。これは一例に過ぎず各所にまだ明らかにされていない土壌汚染が残されている事を示しました。問題はなお山積です。
  そして、焼却をやめたところも、ゴミを受入続け、破砕や圧縮など他の業をしていたり、ごみ山を積み上げたりしています。つい先日、そんな1業者が積み上げた廃プラスチックのごみ山1万mが、大規模な火災を起こし、黒煙と大量の有害物質を発生させました。
  焼却をやめた業者がごみ山を積み上げる。焼却により発生する有害物質について危機感を持たない人は「焼却を止めるからこんな事になるのだ」という意見すら持つようです。焼却処理は、ゴミの見た目の量を確かに減らすかもしれません。
しかし、それは決してなくなったのではありません。ゴミは目に見えない有害物質に姿を変え、大気や土壌や水質に振りまかれます。一部は有害物質を凝縮した灰になります。
焼却はごまかしの目隠しに過ぎないのだ、と私は思います。

  結局のところ、5年経った今も埼玉県は東京の産廃を最も多く受け入れている県です。
産業最優先の社会の中で東京都の隣に位置し、ちょっと田舎の埼玉県がゴミを受け入れるのは「経済原則」で、そして、埼玉県で中間処理されたあと東北へ運ばれ、最終処分される「廃棄物ルート」が出来上がっているといいます。
  行き場を求める首都圏の産廃に圧倒されながらも「経済優先の社会から環境優先の社会へ変えていくのは私たち自身であるはず」との思いで問題に取り組み続けています。
  第一に変えていきたいのは行政の姿勢です。64炉もの焼却炉を許可し、今も積み上がるごみ山。
火災の危険を放置し、首都圏の産廃の中間処理を勝手に担った行政の責任を問い、繰り返さないために何が出来るかを、共に考えていきたいと思っています。

  そして、行き場のないゴミを作り続ける製造業者、排出事業者がいます。火災を起こした業者のごみ山には、大量の廃プラスチックが積み上がっていました。
そのゴミはどこから来たのか。
どこへ行くべきものだったのか。ごみ山火災には、ゴミのさまざまな問題が凝縮しています。
  「所沢は今どうなっているの?」と聞かれる方に「ぜひ、直接見に来てください」「関心を持ち続けて下さい」とお願いしています。
  煙の臭い、ごみ山の悪臭、粉塵、騒音、廃棄物処理施設の近くで暮らすことがどんなことなのか、直接見て感じることが、ゴミ問題の深刻さを理解し、解決をせまるための第一の方法だと思います。
  ご連絡いただければご案内します。


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