ごみっと・SUN 27号
特集 ● 仕組まれた大量消費
欲望を刺激する社会

 ちょっとでもごみ問題を考えれば誰でも、大量生産・大量消費がごみを増やしているのだと感じとれると思いますが、では私たちはどうしてこんなにたくさんの消費をしているのでしょうか?
   必要でないものまで必要だと思い込んだり、買い物が娯楽や気晴らしであったり、ものがあると安心できたり… 。
でも本当は買っているのではなく買わされているのでないでしょうか。お店に、コマーシャルに、そして社会や国家に。
今回は、過剰消費について経済的な側面から考えていきたいと思います。

 

アメリカ浪費社会の構造

★ 90年代のアメリカ社会……資力以上に金を使う
 80年代のアメリカは、日本の量産効果による生産技術に負けて、産業が低迷し経済が衰退しました。
うって変わり90年代後半、国際金融の支配、情報覇権を確立したことで競争力を回復し、ここ2〜3年は株式ブームをともなった空前の好景気が続きました。
 現在、世界には、実際の貿易のために流通するカネの、20倍から50倍のカネが金融だけのために流れています。
コンピューターによる取引きのスピード化で数字だけが移動し、株式投資や金利取引きに回されています。
 電子マネーとギャンブル的マネーゲームで動かされる巨額の資金に、生産部門が翻弄されています。
既存の富を膨らませて利益をかすめ取る投資家が得をするだけです。その利益は、他人や社会全体の犠牲の上に成り立っています。

 アメリカはドルを基軸通貨とする強みで、貿易は赤字でも各国からの資金が膨大に流れ込むので、借金で繁栄を支えています。
日本も含めてアジアがアメリカに輸出して稼いだカネを、アジアは国内で使わずにアメリカの株式に投入してきました。
日本も不況で金利を最低限にしているので、金利が高いアメリカへ利益を求めてカネが流れています。これがアメリカの株高を押し上げてきました。
 こうした国際金融を支配したアメリカで、あぶく銭を動かす人々の経済力や購買力ばかりが伸びています。
他社に対し10秒間優位に立っただけで、数十億ドルの儲けにつながるという、一瞬にして巨万の富を作り出す投機によって、資産価値が上昇し続けました。
単なる快適さより、裕福さを求める「新しい消費主義」が出現し、贅沢なライフスタイルを欲しています。

 アメリカでは、ここ10年くらいの間に、資産が全体の平均で30%増加、特に人口の上位20%層の所得と資産が劇的に上昇しました。
しかし、下位の40%は所得、資産とも減少しています。97年には、働いて得た収入以外にその26%分を株などの配当や金利収入で得ていました。その利益で消費しまくっていたのです。
 中流階層のアメリカ人は79年から95年の間、収入の増加率23%を上回って、消費が30%増えています。
家の大きさは50年間に倍になり、レジャーへの支出額は80年以降、2倍になっています。
 年収10万ドルでも貧しく感じるという人々は「もっと金持ちになりたいし、実際以上に金持ちに見られたい」と欲していると社会学者は分析しています。

★ 物質主義と働き中毒
 1948年以来、アメリカ人の労働生産性は2倍以上になっています。
しかし労働時間は最近の25年間で約10%長くなっています。
つまり生産性が伸びても労働時間を減らすことではなく、所得を増やすことに向けてきたということです。
 ILO(国際労働機関)で99年「工業国で最も長く働くのはアメリカ人、次に日本人」と報告されていますが、日本の労働時間には、時間外およびサービス残業が入っていません(年間一人平均約350時間)。ですから、日本が一番長いことになります。
 アメリカ人も日本人も、より高い収入とより豊かな生活を求めて、それ自体を自己目的化してきました。
また、それを疑いもなく尊重する社会です。消費主義と仕事中毒は日米の文化と経済の特徴だといえます。

★ アメリカの貯蓄率は最低どころかマイナス
 日本の家計の貯蓄率は13%くらいですが、アメリカは−0.1%、つまりマイナスになっています。
安全だが利子が少ない貯蓄よりも、儲けも損も自分にかぶさる株や金融商品に振り向けているのです。
借金は90年代に増加しています。
 増加している最大の層は低所得世帯ではなく、年収800万円から1,600万円の人々です。
 慢性的に、可処分所得(実際に自由に消費に回せるお金)より多く消費しています。全世帯の借金総額は、個人可処分所得と同じ額です。

 職を失ったら全家庭の60%は2ヶ月維持できない、40%は文字どおりその日暮らしをしているので、1週間ともたないと思われます。
 全世帯の1/4は金融資産がゼロかマイナス。破産はアメリカの「風土病」といわれ、件数は80〜98年にかけて毎年記録更新しています。アメリカの人口の200人に1人が破産しています。

★ ブランド品はステータスシンボル
 アメリカでも、ブランドは消費によって他人と比べ、他人と張り合い、他人に誇示するための手段となっています。
高級品やブランドは、自分の社会的地位を自己認識できる表現といえます。ブランド会社は、個人的な不安や自信のなさを手玉にとり、これを身につければ格があがると思わせています。
 子どもに対しても、高い月謝を払って私立学校へ通わせる親が増えています。
競争の激しいグローバル経済の中で勝ち残っていけるよう、高い教育を受けさせようとしています。
そして自分の子どもがすでに出遅れていないか心配し、所属階級から脱落しないかと気を揉むのです。
 こうしたアメリカでは、買い物依存症が1,500万人ともいわれています。

★ 一方で不安定雇用の拡大
 90年代には産業と企業のリストラで、パートタイム労働者や派遣労働、個人請負のかたちが増大しています。
雇用が不確実で相対的に賃金が低く、企業福祉などの付加給付がなく、きわめて不安定な生活を強いられています。
アメリカで過去25年間に平均賃金は下降の一途で、好況といわれてきたアメリカで国民の14%が貧窮し、食料配給を受けています。
 賃金格差が広がり、肉体労働だとフルタイムの定職を持っても、住居を持てる収入に届かず、ホームレスという人もいると報道されています。
 それでも人々は残業や共働き、副業、兼職によって収入を確保し、高い消費支出を維持しようとしています。
 昨年ごろから、アメリカの景気が下降し株価が低迷していますが、株高を支えてきたIT(情報技術)産業の成長が急落したためといわれています。
これからもアメリカが今のような浪費社会を続けられるかは不確実です。

そして…日本の状況

★ アメリカの浪費社会を後追いしてる…
バブル期(85年〜89年)  1985年、アメリカは借金依存経済により大幅な貿易赤字と財政赤字をかかえ、国際的な不均衡とドル不安による国際通貨への危機感が強まっていました。
当時、日本は特にアメリカへの集中豪雨的な輸出で多額の貿易黒字をためこんでいました。
そのため日本の円の価値を高くし、輸出ばかりしないで輸入も増やし、国内でもカネを使うようにと、内需主導型の経済構造に転換することが求められました。
そして、各国の金利引き下げを協調して行うというプラザ合意が決定されました。
そこで日本は金利をどんどん引き下げ、超低金利を89年まで続けました。
低金利と好景気で、日本中にお金がダブついているところに、規制緩和、本四架橋建設(本州と四国の間に3本も橋を架けたばかげた公共工事)、リゾート開発など、内需拡大するための政策を続けました。そのため地価と株価が異常に高騰しました。
 プラザ合意以後の協調利下げによって金余り現象が発生したのは日本だけでなく、先進諸国はどこもバブルが起こりましたが、日本のように大企業も中小企業も、政府と政治家もどっぷりバブルにつかった国はありません。
アメリカの要請に応じて金利を引き下げた国も、87年末には引き上げ始めていました。

 バブル期には、日本の地価総額でアメリカを4つも買えるとまでいわれました。
日本人の海外旅行客があらゆる国に押し寄せ、車でも服でも高い方が売れ、サラリーマンや主婦たちも財テクに走り、高級ブランド品を買いあさるという状況でした。

バブル崩壊後(90年以降)
   これまで地価は上がることはあっても下がることはないという土地神話に基づき、企業は土地を在庫として抱え、値上がり分を「含み資産」として持ち、その担保で巨額の資金を調達してきました。
日本の地価の上昇こそ日本企業の国際競争力の秘密だったのです。
 バブル期には土地も株も高騰し続けたので、企業は本業よりも財テク(土地や株に投資して儲けに賭ける)に力を入れ、強気で傲慢な経営を行ったり、銀行は以前には考えられないようなずさんな貸し付けをしました。

 しかし、バブルがはじけて地価や株価が暴落した結果、企業から銀行に返済できずにたまった不良債権が大量に発生しました。政府も経済界も地価が再び上がれば、不良債権などなくなると期待して処理を先送りし、危機が表面に出ないようにごまかしてきて、不良債権が巨額になったのです。
バブル期に無謀な貸し付けをしてきた銀行に対して、経営責任も問わないまま、小渕政権は銀行救済のため7兆5000億円の公的資金を投入しました。
 バブル崩壊後、総額120兆円を超える景気対策が打たれ、消化しきれないほどの公共事業が常態化しました。そのため現在、国と地方の借金は666兆円になります。国債依存度は34%にも上ります。
これは500万円の年収の家族が800万円の暮らしをしているようなものです。

 見境もなく気軽に貸してくれるクレジットや消費者金融がいくらでもあるので、国だけでなく個人も大量の借金をかかえる人が増えています。いま日本では年間400万人を超える自己破産者が出ているといわれています。

★しかし、90年代不況下で日本の経済は100兆円も成長していた…
 「戦後最悪の不況」「失われた10年」といいながら、日本のGDP(国内総生産)はバブル崩壊後のこの10年間に約100兆年もの成長を遂げています。
ここに見られるのは、経済の規模が拡大しても中小企業の倒産や失業は増えるばかりで、経済の拡大が社会の安定や個人にとっての豊かさに結びついていないという事実です。
 それは、バブル崩壊後に国や企業が抱えた巨大なリスクとコストが、企業や銀行よりも一般国民に転化されているからです。
例えばゼロ金利政策を続けて、不良債権を抱えた銀行を救済し、企業がカネを借りやすくする一方で、預金の利息もわずかで年金生活者を困窮させています。

 また、企業収益は2000年度から上昇しているのに、企業は経営者の責任をとらずにリストラ(企業の人減らし)ばかり進め、勤労者への配分は最低限に絞っています、銀行への公的資金投入は、銀行や企業の不良債権を国が肩代わりするという、税金を産業界に流し込む最たる策でしょう。
 アメリカでも80年代末、地価が下落して、金融危機が起こったことがありました。アメリカ政府は「預金者は保護する、犯罪人は監獄へ送る」として公的資金を投入して金融機関を清算し、経営責任者2000人以上に有罪判決を下し、資産を没収したということです。

 一方日本では、98年に長銀(日本長期信用銀行)が破綻しましたが、その直前に退職した経営者は9億円の退職金を得ています。
 つまり日本は同じ資本主義にしても、ルールもモラルもなく、絶えず生活者の側から産業界の側へ所得を移そうとする不公正な体制を作っているのです。
 小泉内閣の「構造改革」は、不良債権処理を通じて、大企業が資本を増強して、グローバル経済に太刀打ちできるようさらに強化し、経済効率の低い部分を切り捨て、弱者を見捨てる政策でしかありません。

“消費しなければ経済が衰退する”という神話

★ 雇用を確保するためには消費を増やすのが一番という考え
 しかし、消費し続けて地球の汚染が進めば、ビジネスどころではなくなります。
一般に、労働集約性の高い(人手を多く必要とする)仕事のほうが、環境への負荷は少ないものです。
資源を多消費して生態系を傷つける産業やITなどハイテク産業は、雇用を作り出す力はあまりありません。
 ヨーロッパでは失業率を減らすために、一人当りの労働時間を減らし、仕事を分かち合うワークシェアリングを導入しています。
フランスでは98年に週の労働時間をそれまでの39時間から35時間に短くして、しかも賃金を下げない法律が作られました。
 オランダでは96年、ワークシェアリングと同時に、パートタイマーでも正社員と同じ労働であれば同じ時間給にし、社会保険など労働条件も整備させる法律を作り、その結果、雇用が増えています。
 現在の日本の不況では、個人消費が落ち込んでいるから経済が悪化しているのだと解説されますが、適正な消費では足りず、常にそれを越える過剰消費がなければやっていけないというなら、国のあり方がおかしいということです。

★ 先進国の高消費によって貧しい国の経済を成り立たせているという考え
 先進国と途上国との貿易は、単に通貨の価値によって同じ物でも価格が何倍も違ってくるという、いわば「不等価交換」です。さらに途上国での資源や商品に対して、環境・安全・人権などを保証する費用を価格に含めていず、途上国の負担にかぶせています。(「コストの外部化」ごみっと・SUN23号参照)
 世界貿易のルールを変えて、生産過程で生じた環境や労働コストを反映する価格を商品につけるようにしない限り、先進国の高消費が途上国の経済を成り立たせるどころか、途上国の国土、環境を荒廃させ、経済も悪化させていくことは明らかです。

★必要な消費物質を得るためには長時間働かざるを得ないという考え
 本当に必要なものだけを作るには、人間はどれだけ働けばいいのかを細かく計算したアンドレ・ゴルツ(フランスの思想家)は、健康な人が平等に生涯40年働くとして、「週5日、一日2時間ずつ働けば充分」と結論しています。
 これほど人間の生産活動が発展して生産力が上がっているのに、私たちはなぜ余裕のある暮らしができないのでしょうか。人間にとって本当に必要なことが満たされずに、余計なことばかり無理強いされているように思います。
 フルタイムの仕事をするのが一人前で必要なことだという勤労観を、一度疑ってみて、自分を解き放つのも必要なことだと思います。

おわりに

 アメリカでも生活のテンポを落とそうとする人々の動きが現れています。
アメリカ人の1/3はいつもせき立てられていたと感じ、60%がシンプルにくらしたいと考え、実際にシンプルライフにする人も多く出てきています。
 仕事を追いかけるあまり、生活が圧迫されていたとし、欲望を小さくすることで労働の世界ですり潰されてしまうことからの解放を実践し、年収160万円ぐらいで生活を維持している事例も紹介されています。

 日本では、97年に消費税を5%に引き上げたことで個人消費が冷えきったから、消費税を下げて消費を上向かせようとの主張がよく見られます。
 しかし、失業や老後、病気などの不安で、浪費するよりも貯蓄に回そうとするのは、国民が政府を信用できないからです。また、狭い日本の中で、ものは飽和状態で、これ以上増やしたくない心境に立ち至っていることもあります。
 イギリスの心理学者マイケル・アーガイルは、人の幸福度を規定するのは、家族や友人との交際、有意義な仕事、余暇のあり方、の三つであると述べています。
つまりカネやモノではなく、充足感の源泉は精神的なものにあるということです。

 消費社会の中では、人々は、自然から離れ、溢れるモノの洪水で、モノへの欲望が肥大化していき、本当の満足を得られず、心の渇きをモノを得ることで一時的に癒しているという状態だと思います。
 絶えざる経済の拡大を必要とする資本主義社会では、モノやお金、それに伴う社会的地位を上昇させる方向にだけ個人を解放しているので、カネ・モノ・地位を得ることが優先され、それが経済発展の原動力になっています。
 従って個人は常に他者と競争し、人や世の中に遅れをとらないように神経を張り巡らす、駆り立てられる社会です。そのため精神内部の質的ゆがみや自己疎外をまぬがれず、いじめ、暴力、犯罪などのかたちに噴出することも、必然といえます。

 私たちは健康に働き、自分の生き方をゆがめず、老後の不安におびえずに人生を送りたいと願っています。それはお金やモノではなく、互いに共生できる制度ではないかと思います。
 日本はアメリカに追随してグローバル経済にしがみつくのではなく、不況をむしろ活用して、教育、福祉、医療、高齢者介護、環境、自然エネルギー、農林業など、本当に必要な部門に人と財源を投入して、安全で安心して暮らせる国にするべきだと考えます。
人々が地域で共生できる関係と制度があれば、モノやカネは大量にはいらなくなるのではないでしょうか。

参考文献
  「どれだけ消費すれば満足なのか」アラン・ダーニング著(ダイヤモンド社)
  「浪費するアメリカ人」ジュリエット・B・ショア著(岩波書店)
  「浪費なき成長」内橋克人著(光文社)
  「日本経済改革白書」小島祥一著(岩波書店)  その他


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