ごみの問題は経済との関係を考えることが不可欠です。 今回は、特に「大量生産の前に資源の大量輸入がある」という問題を中心に、 ごみと世界経済との関係について、考えてみたいと思います。
日本は現在、重量で毎年約7億トンの資源を海外から輸入しています。世界の海運輸送量の2割を使って海外から運び込んでいるのです。 しかし輸出は約1億トン以下ですから、国内での資源調達と、国内でのストックを大雑把にプラスマイナスして、毎年約7億トンの資源が国内にたまることになります。 このうちエネルギー資源約4億トンは燃料として燃やされ、廃ガス(二酸化炭素、窒素酸化物、硫黄酸化物など)を大気に放出し、温暖化や公害をもたらして消滅します。 残り3億トンが、いずれはごみになります。そこに大量リサイクルが加われば、さらにごみ量が増えることになります。 この輸出入のアンバランスを解決しなければ、どんなにリサイクルが進んでいる国でも、リサイクルが国内的な資源循環になっていないことは確かです。ドイツでも回収した古紙のうち、低質な24%を東欧などに輸出しています。 輸入される資源の量が減らない限り、「大量生産・悪循環社会」になるのは当然です。こうなってしまう原因は、新品輸入資源の価格が安すぎるからです。
それは、途上国の通貨がドルや円に対してけた違いの価値にしかならない「為替のトリック」のためです。例えば木材は、途上国で伐り出して輸送費をかけて日本に運んでも、日本の木材の数分の1の価格です。 途上国の伐採による環境負荷は逆に数倍になっても、カネの価値だけで決められてしまうのです。 さらに、貿易システムが不公正で、先進工業国が途上国の資源を不当に買い叩ける仕組みをあらゆる手段で形づくってきたからです。
多国籍企業とは、多数の国々に子会社を設立し、企業全体としての利潤の最大を世界的に追求する企業で、60年代以降、アメリカを中心に発展しました。進出先の国の富を抜き取り、それを海外に移すように仕組まれたポンプにほかならないとも指摘されています。 現在、多国籍企業上位50社だけで国際貿易の70%以上、海外投資の80%以上を占めています。資源の採取、伐採から運搬、加工、流通、販売に至る巨大な世界組織を形成していて、世界経済を思うままにしています。 多国籍企業は国家の規制を逃れてグローバル化し、新たな利益と支配を拡大しています。例えば税金の極端に安い香港やシンガポールなどに利益を移し、17%程度の税金ですませる(フランスでは33%、日本なら45〜50%)、また途上国のために安い関税の認められる枠(一般特恵関税枠)を多国籍企業で使い切ってしまうなど、カネと力で世界経済を牛耳っています。日本の多国籍企業もバングラデシュや中国の繊維製品の一般特恵関税枠のほとんどすべてを輸出用に独占しています。
日本のアジア近隣への経済開発は、戦後賠償を、日本企業に仕事を確保して収益を流し込む策として始められ、対外援助と投資や貿易を組み合わせて、近隣国の資源を吸い上げてきました。経済のグローバル化とともに、先進国が廃棄物と公害工場を外国に輸出し、富裕層が貧困層に環境コストを押しつけていることが批判されますが、とりわけそれが顕著なのが日本企業といわれています。日本で公害規制が厳しくなる70年代前後に、東南アジアに大挙して進出しました。
日本政府が、途上国の経済開発のために協力する活動がODAですが、特に石油や天然ガスなどのエネルギー、食料、森林資源などを確保するために、ODAが利用されてきました。国の資金(税金)で、日本の大手建設会社や商社が、途上国のダムや港や道路の建設などを請け負うということが一般的です。 途上国の社会基盤整備を行って、資源を日本に安く大量に輸出できるようにしたり、現地に日本企業が進出しやすい条件をつくったり、日本製品を売り込めるように地ならしするなど、援助といいながら結局日本の企業が儲かるような仕組みにしています。 ODAは、一部の官僚、政治家、私企業が密室的にその使い方を決めています。大手ゼネコンと政治家が無駄な土木事業にに税金を投入している、国内の「公共投資」の国際版といえます。
日本のODAは日本の国益だけを追求していると非難されていますが、アメリカを中心とする先進国の、途上国への戦略も同じようにひどいものです。 第二次世界大戦後、世界経済における覇権を握ったアメリカは、自由貿易体制の確立をねらって世界銀行とIMF(国際通貨基金)を設立しました。 世界銀行・IMFは、各国の資金の拠出額に応じて決定権の票数が配分されています。アメリカ、日本、ドイツ、フランスの順で、アメリカは17万票、ラオスは300票という格段の差があり、大国に拒否権もあります。従って、先進国のための政策決定機関にほかなりません。特に世界銀行は秘密主義が強く、一般に公開されたり民主的に討議されることはほとんどありません。 世界銀行の開発計画は、インド、アフリカ、南米などで小規模自営農民を土地から追い出し、巨大ダムや大規模開発をしてきました。世界銀行は途上国に、輸出型の経済に切り替えれば援助額を一挙に増やすと約束して融資を押し売りし、途上国の経済を自給自足から輸出主導型に変更させてきました。 こうして途上国からの資源をむさぼってきたのです。 世界銀行の資金を使って実際に事業を受注するのは、多国籍建設会社や巨大コンサルタント会社になります。例えばアメリカ政府が世界銀行に一定額を拠出すれば、アメリカの輸出業者はその2倍以上の契約を受注するといわれています。こうして、世界貿易を拡大させながら他国の富をアメリカに巧妙に環流させたのです。 世界銀行・IMFは、アメリカを中心とする多国籍企業が外国の資源や市場を支配し、多国籍企業が途上国の経済を思うまま搾取できる仕組みをつくってきたのです。 当然、第三世界との貧富の格差の増大、生態系の悪化、地域社会の破壊が地球規模に巻き起こりました。
さらに、1970年から80年代、石油価格の高騰のため石油を保有しない途上国は対外債務額(借金)が5〜8倍と大きく膨らみました。 世界銀行・IMFはその返済計画のため「構造調整プログラム」を途上国に押しつけました。借金精算できるように途上国の社会の構造を効率的にし、輸出を促進するというものでした。しかし、その効率化は途上国の国有企業を多国籍企業に売り払い、公務員を首切りし、福祉や教育の予算を切り捨てる政策だったのです。 また、多くの国が天然資源や農産物を輸出して外貨を稼ごうと競争させられたため、一次生産品(農業・林業・鉱業などの生産物で加工のされていないもの)の価格が大きく下落しました。そのため、途上国の貿易赤字は全体に6倍、債務は3倍以上となりました。逆に先進国の資源輸入は安く調達できたのです。 途上国では、外貨の稼げる商品作物で耕地を占領されて、自国の食料を充分作れず、貧しい階層に飢えが蔓延している一方で、「構造調整」により公的社会サービスが廃止され、その代わりに利益追求の外国企業が入り込んで、医療や教育の「製品」を途上国の金持ち階級に売るようになりました。 こうして途上国内部もますます貧富の差が拡大しました。このようにして、世界銀行が債務国の法制度全般をつくりかえ、統合する機関のように途上国を支配しています。 1982年以降、世界銀行の貸す額より途上国から返済される額の方が上回っています。80年代半ばの「飢えるアフリカ」キャンペーンのその最中にも、アフリカはヨーロッパなどに、落花生、綿花など商品作物を輸出させられていたのです。 現在では先進国の製品の小型化、省力化や原料の代替化により、資源への依存は相対的に減っています。だからといって先進国が、これまでの資源収奪による途上国の経済破綻や環境破壊の責めをほうかむりすることは許されません。
世界人口の2割に過ぎない先進工業国が、全体のエネルギーの8割以上を消費しているといわれます。その格差はますます広がりつつあります。 先進国20%の所得は、1950年は途上国80%の所得の約30倍でしたが、92年では60倍に拡大しています。国連開発計画の報告では、世界の20%の豊かな人口への富の集中度は、1960年の70%から、89年の82%に拡大しています。 さらに貿易自由化を強要し、経済のグローバル化を促進するために、WTOが1995年に発足しました。WTOは自由な貿易がすべての国に恩恵をもたらすとして、すべての国に押しつけるために、従わない国に制裁する強制力を持った機関です。実際にはアメリカ系多国籍企業の利潤を増大させ、その支配力をさらに強化しようとするもので、途上国はもちろん、先進国の弱者をも切り捨てています。 いま、アメリカ、ヨーロッパ、日本が互いに相手の国の法律を攻撃しあい、人々の生活や環境を守る法律を企業の利益に合致するように廃止、または弱体化させています。各国の環境や消費者保護を壊し、第三世界の資源収奪を加速しています。WTOによって、得をするのは巨大企業、損をするのは市民や民主主義です。 欧米では、WTOに対する大規模な抗議行動が行われています。99年12月、アメリカのシアトルでは、WTOの総会に反対して、労働組合やNGOなど5万人の市民がデモや抗議行動を繰り広げました。
これまで見てきたように、途上国の新品資源に対して、国際価格があまりにも安く、生活できる賃金、労働条件、環境、健康、安全や人権コストが含まれていない、ということが、世界的な不公正の元凶だといえます。 このような外部への被害を及ぼしながら、実際には支払われていないコストを「外部不経済」といい、それを価格の中に組み入れることを「価格内部化」といいます。この価格内部化を実現しなければ、正当な貿易となりません。 最近、容器包装リサイクル法に関連して、現在税金で回収されている費用を容器の価格に含ませて、生産者と同時に消費者が支払うことで、回収や再生のコストが多くかかる容器を淘汰させるべきだ、という主張が広がっています。 当然そうするべきものですが、途上国からの資源輸入についても同じことがいえると考えます。私たちが資源を不当に安く輸入し続けていれば、ごみ問題は絶対に解決できません。
有力な環境NGOの「オランダ地球の友」では、環境、資源に関する地球的な公正を実現するための具体的な問題提起を行っています。 過剰消費の拡大を続けている先進国の発展パターンをどう軌道修整したらよいのか、として「環境容量」を設定し、どのくらいまで利用できるか指針を示しています。 まず金属類など、非再生資源は採掘、精製時の汚染負荷を最小限にして再利用率を最大限にもっていくことを目標にし、例えばアルミの場合、オランダ国民なら現行の80%削減を実行する必要があるということになります。再生可能資源なら、例えば木材では、オランダで現状より6割の削減が必要ですが、使用期間を延ばしたり、再生紙利用率を75%に引き上げれば可能となります。 結局は環境容量の枠を前提として、産業構造をどうつくりかえていくか、ライフスタイルをどう組み直すかがポイントになる、と呼びかけています。
市民エネルギー研究所によるシュミレーションでは、日本が輸出を抑えるとともに、途上国からの原材料輸入価格を引き上げる、自動車などの買い替え期間を1.5〜2倍に延ばしてモノを長持ちさせるなど、世界との貿易関係を変えることで低成長路線が実現されると述べています。 その結果、消費や設備投資が大幅に低下し卸売物価が少し高くなり、失業率が上昇しますが、労働時間を多少減らし労働の分かち合いをすることで、失業率は減らせるといっています。総じて経済規模は縮小していくものの、過度の競争意識や物質欲望、欲求不満に駆り立てられないゆとりと充実した生活を見出せると展望しています。 私たちは今まで、経済成長がなければ環境保護もできない、と思わされてきました。けれども、経済成長の伸び率を示すといわれてきた、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)は単に、経済システム内を流通した貨幣の量を表わすものでしかありません。自分で掃除するかわりにお金で家事サービスを頼めば、GDPが増えるというもので、従来家庭や地域社会で行われていた活動を商品化すれば増えるというだけです。人間生活の向上を適正に反映する指標ではありません。 子育て、健康管理、食事、家事、娯楽といった生産と人間再生産を支える活動は、家庭や地域から市場経済へ移行するに伴って、企業に上前をはねられるだけです。 常に右肩上がりに経済成長しなければ、私たちは生活できないのか、今一度考えてみるべきと思います。「経済成長神話」が、世界中から資源を過剰に運び込み、ごみを氾濫させている、これがごみ問題の根本ではないでしょうか。
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