特集 ● 根っこから変える!21世紀のごみ

「自然 物質 地域」 ・・・・・・ キーワードはこれ!

 

  21世紀が幕を開けました。
振り返れば、ごみ・環境ビジョン21は1996年12月21日、『三多摩発アクションフォーラム 21世紀のごみを変える』という集会からスタートしました。
「循環経済・廃棄物法」が施行されたばかりのドイツから、環境NGO・BUNDの設立者であるエアハルト・シュルツさんをお呼びし、
ごみ回避に向けたさまざま な事例をお聞きし「ごみは必ず減る」というメッセージをいただきました。

当時のキーワードは「21世紀のごみを変える」。

たった4年程前のことですが、21世紀はまだまだ遠い先のように思えました。
大量生産・大量消費・大量廃棄がもたらした環境破壊はごみだけではなく、資源・エネルギー・経済・産業・化学物質・国際社会など「20世紀のツケ」と呼ぶにふさわしい諸問題を露呈させました。

人々が「明るい未来」を描けなくなった世紀末、迎えた21世紀はその延長線上です。

確実にごみを変えていくための実践に向け、新たな気持ちで「ごみかん座談会」をお届けします。
ごみの現状と解決への展望を3人のごみっとが熱く語り合いました。

ミヤオ さんワン さんラビ さん


「ごみ」情勢 ― 今こんな風になっている

 まず、こどもたちが学校教育の中で、ごみのことをどう教えられているかというところから、始めましょうか。
 とりあえずごみ処理施設を見て、ごみを減らすためにごみを分別しましょう―という中身だと思うんです。社会教育でも同じ。一歩進んで、ごみを出さない暮らし方をしましょうという発信も始まっているけど、それはまだ方法論の段階。

 「なんでごみになるものを作っちゃいけないのか」とか「やたらにごみにしちゃいけない」ということを教えられていないし、学習する場もない。
 その年齢に合った形で「ごみの有害性」とか、「ごみが環境を汚染する」ということをしっかりとらえなければいけないと思うんです。

 少し前にはダイオキシンとか環境ホルモン問題がクローズアップされ、「日本に次世代はない」というようなセンセーショナルな形で伝えられましたよね。
 ダイオキシンには法律ができたけど、焼却炉の改修とか、出口対策に偏った終結のしかたにすぎません。

 環境汚染問題では、南アフリカのヨハネスバーグでPOPS(ごみっとMemo参照)を国際的に根絶していくということが、去年の12月に合意されました。
 WWF(世界環境保護基金)が10ヶ国の汚染状況を訴えた中で、日本は特に鯨とかイルカとかの食品汚染がひどく高濃度だったことが上げられました。
 いっときのダイオキシンや環境ホルモン問題からは、ある意味ブームが去ったという世相はあります。また「製品自体から変えていく」ということは合意されているのに、日本はその生産の問題には手をつけない。

 去年は循環法を初めいろんなリサイクル関連法がはなばなしくできましたが、これらの法律も、製品の問題、生産には手をつけてない…というのが、今のごみ問題の現状だと思います。私は特に塩ビの問題に関わって実感しています。
教育の中で本質に立ち入らないというところが似ていますね。

 自治体(市町村)のごみ問題に目を向けると…地元の三多摩の場合、やはり日の出処分場の問題は大きいと思う。
 10年ぐらい前に汚染が発覚してから、「もう埋めるところがない」「埋めたものは自然分解されない」ということを知らされた。運動の高まりと共に、かなりの自治体がこれまでのごみ処理ではよくないという方向を共通認識として持つようになったよね。

   これだけ全国的に「ごみ、ごみ」と騒がれるようになって、当然、国も処理処分という対症療法から、発生抑制に向かうのかと思いきや、今度は大量リサイクルという次の対症療法で乗り切ろうとしているでしょ。
 一方、市民運動は反対運動にとどまらないで、「今までのごみ処理を変えよう」と・・・・・環境学習の話にも出てきたように・・・・「ごみそのものを回避し、生産自体を変えてく動き」を作り出している。そして、意識ある自治体の職員たちも、その方向しかないことに気がついている。

 循環法やら何とかリサイクル法やらいろいろできたけど、国は大量生産の部分は手をつけないで、大量リサイクルであわよくば経済を活性化させようと考えてるんじゃないかな。自治体が法律を全く無視するわけにはいかないけど、理念としては住民考え方が近づいているし、それぞれに独自の道を行きたいぐらいだけど、まだそこは思い切れないんだな。
 せめて、今までのように国の思い通りにはならないで欲しい! そこに期待を寄せてるけど。

 ここへきて、なんかいい法律ができるかと思ったけど、できてみてがっかり。91年に通産省がリサイクル法を作って、どんどん物を回そうという頃は、リサイクルはいいことに思えた。
 なにもかも燃やして埋めていた時代だから、まだ先端だったような気がする。たった10年前よね。

 今でもまだ幻想があって、駅でもどこでも箱をおいて「缶と瓶と分ければ、その先は万事うまくいく―少なくともごみとして捨てるよりはいい」というのは、結構普通でしょ。

ごみっと memo!
  POPS(残留性有機汚染物質)

性質:難分解性、高蓄積性、長距離移動性、毒性(人の健康と生態系に有害性)
現在、アルドリン、ディルドリン、エンドリン、クロルデン、ヘプタクロル、トキサフェン、マイレックス、ヘキサクロロベンゼン、DDT、PCB、ダイオキシン類、フラン類が最悪の12物質としてあげられている。

 

小さく回すリサイクルが消えていく!

 国は大手のリサイクル産業を興そうとしているよね。  消費受益者とか排出者とか、ものを使った人にお金を出させて新たな産業を興そうとしている。それを興す過程の中で、小口は淘汰されて、リサイクルビジネスぐらいの大きさでやろう、と。
 リサイクルだって環境は破壊するし、エネルギーはかかるし、消費を減らすことはないし・・・・・どんどん生産するためのものだから、またあいも変わらないことをやってるとしか思えない。

 循環型社会といっても、国や企業の言っているのは基本的に「物質だけの循環」で、それが生態系を壊すということがあまり考えられていない。悪いことには地域の循環までも壊している。
 古くからあるびん商なんかも打撃を受けているし、地域のリサイクル業が壊されていく。

 おからのリサイクルみたいに、狭い地域で回して、無駄がない、余分なエネルギーも使わない、もちろん生態系を壊さない、これがほんとのリサイクル。いや、リサイクルというより有効利用とでもいうのかな。だからリサイクルって誤解しやすいね。
 古くからあるリサイクル業といえば、ほとんどの自治体で古紙の分別収集が始まって、朝とか集めに来るでしょ。その前に古紙回収業を生業としている人たちが持っていくのを、見つけた住民が訴える、と新聞に出てたんですよ。

 紙がそれ程氾濫していない頃、地域内循環をしていた彼らを追いやったのは、紙の大量生産とそのあと始末をする行政回収なのに。生産まで遡った指摘をしないで弱者をまるで犯罪者扱い。
 行政回収はお金がかかるけど、税金だから痛くも痒くもない。その陰で回収業が排除されて、廃業に追い込まれているんです。

 これまであった「小さく回すリサイクル」がつぶれていくというのは変ですよ。
 リサイクルでお金が儲かるってことになって、大口が乗り出したんじゃないかな。

 残飯を運んで豚のえさにする―みたいな昔のリサイクルがなくなってきた。手間隙かけて堆肥にするより、フレッシュな残飯をえさにした方がいいでしょ。
 江戸時代の日本はそういう意味でリサイクルが進んでたはず。地域循環を否定して、ごみの大量生産、大量流通というおんなじ構造のままやってると思う。

 できるだけ生産を縮小していこう―という方向に向かってないよね、日本は。
 今まで通りか、むしろ不況を乗り越えるためにも生産は落とさないようにして、さらにリサイクル産業を興して乗り切ろうという確信犯、省庁の官僚たちは。正しい方向じゃないと分かってやっているんだから!

 生産量を減らさず、同じだけリサイクルしたら、物は今以上に溢れるわけで、ブラックユーモアですよね。
 でも、大企業がリサイクル、静脈産業に乗り出すってことになってくると、むしろ生産を減らして、バージン資源の代わりにリサイクル品を入れてくるってことで採算をとる―ということはあるよね。

 それはすごくあります。家電もリユースしちゃいけないみたいな法律だけど、その一方で、家電業界や通産省のある部門では、新製品はICチップみたいなのを埋め込んで、使える部品をリユースしようということを検討しています。

 やっぱりそういう点は国より産業界の方が長けてる。どうしても日本株式会社を抜け出せないんだね・・・・・。

 

仕組まれた「循環型社会」

 日の出問題が大きなきっかけになって、ごみ問題に市民が関わっていく中で、化学物質について知らなければならないという状況が出てきたでしょ。
 それと、もうひとつは「最新技術」。大きなプラントで解決しようとしているから、それに対抗するために、市民運動は絶えず、勉強、勉強で追いまくられている。
 なんか別に伝える方法があるんじゃないかと思う。

 もともと地球上にあった循環、生態系を壊さないで暮らして来たということと噛み合わせた21世紀。20世紀で壊したものをもう一度取り返すみたいな。
 ひとつは化学物質の問題で、もうひとつは資源。自然循環、いのちを守っていく。ナチュラル・ステップ(ごみっとMEMO参照)ですよ。

 物質や環境汚染の循環だけ考えても、だめ。レーナ・リンダルさんがスウェーデン環境ニュースに「スウェーデンは循環型社会じゃない」というコラムを書いていて、なるほどと思ったんです。
 どういうことかというと―リサイクルしたりリユースしたりする時に、新たに環境汚染を引き起こす可能性があったり、新たな天然資源を投入して新しい製品を作ってるという現状があるんです。当然ですよね。
 だから「循環型社会といっても新しい物を使うし、その過程でも有害物質をだすから、循環型社会じゃない」って言ってるの。

 ところが、日本は循環型社会元年とかいっているけど「資源を輸入しちゃいけない」なんていう政治家はいないし、そこまで考えずに循環型社会をぶち上げているだけだと思う。循環型社会を紛らわしく使っている。
 与党はグリーン税制(ごみっとMEMO参照)というのをまとめたけど、1年前のたたき台と違って、今度出てきたグリーン税制というのは、13年経った普通の自動車に対して増税していくというものです。

 排ガスがクリーンという新しい自動車を買った時は安くなるという法律で、Y新聞さえ(笑い)「これじゃ、新しい車の買い替え促進だ」と言ってます。
 アメリカと日本はCOP3を守れないからって、2年間だけの暫定だそうですが、古い車を大事に使う人とかに対して明らかに不平等。

 買い替えの廃車の処理や新しい車を作るときのCO2とかを計算しないとおかしい。省エネのものに取り替えようとかいっても、車の台数を減らさないと。
ダイオキシンも環境ホルモンも全部誰かが儲かる変な方に収束されてしまうなんて…あきれちゃうよね。

 二酸化炭素を削減しなくてはならない日本政府の要請をうまく利用しようとしている鉄鋼業界は、溶鉱炉の還元剤にプラスチックを使えば二酸化炭素が削減できるから、廃プラスチックを高炉に送り込こもうとしている。容リ法みたいに国ぐるみで仕掛けるのと似てるね。

 自動車リサイクル法ができれば、また捨てようとする人がリサイクル券とか買わされて、結局、消費者だけが処理費用を払わされるんですよ。

 

 交通量全体を削減していこうという、例えば、ドイツのように公共交通への誘導策を講じない。

 


  ごみっと memo!
  ナチュラル・ステップ

スウェーデンで創設された環境保護団体。
持続可能な社会に向けての4つの基本原則を提示し、企業に具体的な改革を促している。
1999年4月、ナチュラル・ステップ・ジャパンが発足。

  グリーン税制
2001年度から導入する自動車税制度のグリーン化について、排ガスの少ない車に買い替えた場合、自動車税(地方税)を2年間に限って50〜13%軽減し、一方で新車登録から13年を越えたガソリン車は自動車税を10%増税する内容の自民党税制調査会がまとめた改正案。
次期国会に上程。

 

ケータイで「循環型社会」が話題に載れば・・・・・

 産業車が多いのよね、日本は。
北海道の魚を九州で食べなくてもいいし、鉄道を見直すとか、今あるものを見直してもう一度使う、輸送距離を短くするとかしないといけないと思う。

 輸送で思い出したけど、包材が増えたのは大量流通が原因よね。一箇所に集中させるためには、厳重な包装をして運搬したり、保管のために多重包装にしたり、包材が増えていく。
そう考えると、長距離輸送っていう車の問題と容器包装ごみの問題はセットだよね。

 地域産業や地場産業を育てて小さく循環すれば、ごみはあまり出ないし、地域内で情報を交差させていれば、有害物質を垂れ流すこともなくなる。物欲に左右されることもなくなるのでは?
 とはいっても、人の価値観はなかなか変わらないからね。
消費社会にうんざりする人はまだまだ少ないでしょ。だから、百円ショップとか極端な物が次々生まれてしまう。
もっと普通の人が世の中のおかしさに気付くチャンスを作っていかないとね。
今回の法策定にしても、10年前の環境基本法とは比べようもないほどわずかな回数のヒアリングがあっただけ。こんな国って他にあるのかな?

 大量生産の使い捨てから循環型社会に転換するってのは「革命的」なことかも!
 大げさかもしれないけど、せめて大学生が携帯メールで循環型社会を話題にするぐらい(笑い)気長に時間をかけて、みんなの中に循環型社会とは何かを、浸透させていかないと。だれも知らないでどこが循環型社会って思う。
 何で急いで、しかも役に立たない法律作るのか。


価値観から地域社会まで

 新聞に、ある原発フォーラムの模様が紹介されていたのですが、その中でパネリストの一人が「ほんとに『自動ドア』は必要か?
 ショートケーキ用の『冬のイチゴ』はなくてはならないものか?・・・・から考え直す必要がある」と問題提起していたんです。

 21世紀は、環境問題、エネルギー問題、人口問題・・・・全てに関して20世紀のツケを払わされる世紀です。
経済界でも「持続可能な発展」を維持するためにファクター10とか20(ごみっとMemo参照)とかで、生産効率をアップして「脱物質化」しないといけないといって模索し始めていますけど、私はまず、社会全体でこの「冬のイチゴ」の価値観論争から始めないと始まらないんじゃないかなと思います。

 かって、日本は「水俣病」の教訓から、世界に先駆けて水銀規制を始めたんだけど、その時産業界は「裸足で歩く原始時代に戻るつもりか?」って抵抗したらしいけど、その後規制されても、産業は後退しなかった。それどころか、水銀を使わない電解法などの日本の技術を海外に導入できるようにさえなったという前例もあるし。

 価値観の話だけど。今は情報に踊らされて、自然派志向とかいっても、一方で安価な物を購入して、平気でごみにする人はたくさんいます。
 価値観というか、社会をとらえるものさしをある程度身につけると、今の世の中のおかしさが次々に見えてくる。「冬のイチゴ」にしても。

 でも、余分な情報に惑わされてなかなかそういうものさしは身に付かないのよ。よほど自分に不都合でも起きないとね。
 どうすればいいか・・・・・「原体験で自然と触れ合う」というのがとても大事だと思う。そこで学ぶことは単なる知識とは違うから。子どもによっては自然がひとつの情報でしかない、情報が操作されるとそれにつれて思考まで操作されちゃう。携帯電話がないと、生きていけないみたいに。(笑い)

 学校でゆとりの時間を増やしているとはいっても、こま切れではしょうがない。
 ドイツでは別の場所で1週間というスパン、学校のクラスごとそこに移動する。しつこいぐらいのんびりやって感性を育てる。
 何もかも教科に分かれているのを変えていかないといけない。流行に左右されないためには、感覚で感じる力を育てるというのはあるよね。

 日本でも自治体とか都道府県単位に可能性があると思う。分権法(ごみっとMemo参照)ができて自治体に事務が移行して、独自の税制ができる。市民一人一人がどう考えるか、自治体の決定権があるわけですから。

 ごみ処理の広域化問題の集まりで聞いたんですが、ある人が脱サラして農業をしようと長野県の臼田に移住したら、焼却炉の広域化計画が浮上していた、と。そこには8時間稼動ぐらいで充分使える炉があるのにですよ。

 国の広域化計画は自治権を剥奪する方向ですよ。国が描いたシナリオが都道府県に下りて、例えば山梨県のゼロエミッション計画なんか、有力な企業とか産廃を一杯出すところが審議委員になって進めていて、自治体は口を差し挟む余地もない。
 そこには大きな施設で近い将来、産業廃棄物を入れるということとPFI(ごみっとMemo参照)という民間の手に委ねていくという二つの問題がある。

 君津市のPFIの例では市役所に聞いても焼却炉のデータはないし、「安全に動いている」ということしか言わない。なんだか、一部事務組合よりひどい状況みたい。
 地方自治体は住民と行政が力を合わせて国の政策に造反しないと、とんでもないことになる。

 ダイオキシンの2002年規制があって、今、焼却炉の新設・改善に条件がいいから、飴と鞭で炉への対策だけに流れている。こういうのは立ち向かわないといけない。
 また、ゼネコンだけが儲けて税金を食いつぶす!


 おーっと! だんだん口調が過激になってるけど。(笑い)
 確かに「広域処理の恐ろしさ」というものは、日の出の汚染問題と一緒に、全国にもっともっと発信すべきだった。


 それと、大事なのは「生産者責任」。
 つまり、最初から製品価格の中にリサイクル費用を含ませることによって生産と流通を適正なものにしていかないと。
 捨てる時に消費者からリサイクル費用を徴収する今の家電法ではダメ!
 パソコンなんかが廃棄されるようになり、家電法が実際に動き出すと、そのダメな部分が見えてくる。

 普通の人がお金を払う時になって初めて「このリサイクル法はおかしい」と気づく。
それを市民運動が取り込んでいくようなアクションを地域に広げていかないとね。

 

 「東京都内で不法投棄された家電はメーカーに責任を負わせる」と石原都知事が言ってるね。

 

 いろんなところで「これじゃ、おかしい」「メーカーの責任は?」と言い出せばいいよね。分かっていてもやりたくないというのが今の国政なんだから。
 市民の後押しさえあれば、地方自治体もがんばれる。石原都知事みたいに単純な言い切り方をしていけば、大同団結もできるし。

 町田の「乾電池」は頑張ったんだけどね。
 町田市では1982年2月から5分別方式がスタートし、有害ごみとして、乾電池、体温計、鏡を指定し、中でも量の多い乾電池は別に保管して、メーカーに回収を求め続けたんです。
各方面の関心を呼び全国市長会での決議も出されたのに、‘85年に厚生省が「安全宣言」を出し、メーカーは引取りを拒否、今はやむなく北海道のリサイクル施設に税金 で搬送しています。

 せっかくの自治体のいい動きも、孤立してしまうと全体を変える力にならないから、いっせいにやらないとネ。

 


  ごみっと memo!
  ファクター10(F10)

 地球環境の危機的状況の現在、持続可能な経済を実現するためには、世界人口の20%でありながら二酸化炭素の排出は2分の1の先進国は、2050年までに資源消費量を10分の1に、資源効率、環境効率を10倍に高める必要があるという考え方。
 元OECD科学局長 シュミット・ブレーク(仏)が提唱。資源エネルギー消費量(及び環境負荷)の削減は「脱物質化」と呼ばれる。
 この他にF4、F20、F16、F10〜20が必要とする諸説がある。

  分権法(=地方分権推進一括法)
 1995年に制定された「地方分権推進法」を踏まえ、1999年7月、地方自治法の大改正によって、国の機関委任事務を廃止し、国と自治体、都道府県と市町村の行政面での「対等」原則が定められた。

  PFI=Private Finance Initiative直訳は「民間資金主導」。
 これまで公共部門が行なってきた社会資本の整備・運営を民間部門に行なわせる事業の総称。公共事業に市場原理を貫くことでコストダウンが図られるとしているが、政官財の癒着構造がある日本では期待できない。
 過疎化や環境破壊など金銭に換算できない問題は放置される、儲かる事業だけが必要なサービスになるなど日本版PFI指摘されている。

 

“ごみかん”の挑戦

 話はもとに戻って、環境学習ですが、水とか森林のことを教えているときに、ごみの話をいっしょにすればいいと思うんです。フィールドに出て行って、ごみの話をした方が実感が伴うでしょ。
 例えば、食べ残しは土になるけど、このラップは何年かかっても消えないと、話す。
あるいは、燃やしていいもの、燃やしたら有害物質を発生させるものを実際に燃やしてみて、何が影響受けるのか、微生物が死んだらどうなるのかな…と、そういうふうにごみ問題を考える。そんな環境学習のプログラムを組み立てたら面白いよね。

 幼児期からごみのことを学習するチャンスをつくっていかないと。
 もうひとつ、目に見えない有害物質の事は、しっかり教えないといけない。生態系に及ぼす化学物質の影響を言葉で教えないと、子供に理解しやすい言い方や言葉でね。
 それと、ごみかんで将来的には自然の中に学校生物センター(ごみっとMemo参照)みたいなのをつくりたいですねー。
ドイツでは自治体単位で作っている。ハノーバーのセンターは7へクタールと言ってました。

 これからは情報も含めてごみを人任せでなく市民の手に取り戻したい。
 このとんでもない状況を変えていくためには、あの手この手で世間に仕掛けていかないと。それぞれの地域で実践活動として広げていける、具体的な投げかけが必要だね。

 セミナーや見学会から、もう一歩踏み出した具体的なアクションをしないとね。
 例えば、Mさんが去年関わった「塩ビ製ラップを各家庭から集めて返還する運動」みたいな・・・・・。
 ごみかんも、発足した頃から懸案だった「お祭りに出張する皿洗い自動車」や「マイカップで飲む自販機」なんてのも実現させたいよね。

 岡山では市民の集まりで岡山県内の自然食品店、自然食レストラン、エコショップ、リサイクル情報など集めて「エコウエーブ」という本をつくったところ、なんと3,000部も売れたんですって!
 それが、商業ベース「Hanako」って感じで作った物じゃないから、環境問題・ごみ問題をきちんととらえていて、中身もすごくいいの!こんなのを、ごみかんでもつくれればいいなぁ!


 さて、ごみかんの課題もいろいろ出たけど、でいったい、誰がやるの?

う・・・・・・ 


  ごみっと memo!
  学校生物センター

 ドイツ、ハノーバー市の環境学習センター。広大な森と畑を有する7haの敷地内にはさまざまな学習の仕掛けが用意され、市とその周辺160の小・中・高校がクラス単位で2日〜1週間の授業を行なう。


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