前に戻る ごみっと・SUN20号
ひょんなことから、運営委員の二人がミレニアムの夏「エコロジーでエコノミー」なドイツ環境視察旅行をすることになった。
☆ NABU(ドイツ自然保護連盟)表敬訪問でスタート!
まず旅のスタートはNABUから。NABUが発行した「児童、生徒のための環境を守るヒント集」の版権の使用許可を得て、ごみかんで発行した日本語版を手に、お礼を兼ねた表敬訪問というわけだ。NABUは昨年、設立100年を迎えた老舗のNGOで会員数25万人。本拠地はボンだが、このシュトウットガルトが発祥の地とのこと。中心街のにぎやかな通りのそばのビルの5階が事務所になっていて、州本部のNABUと市レベルのNABUがフロアを分け合って使っていた。 専従スタッフが12名もいるという州本部で、NABUお勧めのリンゴジュースをごちそうになりながら事務局長のプリッツエル氏に話を聞いた。 2年前からNABU全体で力を入れているのは「エコロジー農業」で、国といっしょになって強力に進めているとのこと。 例えばリンゴは日本では作業しやすいように低木にし、実はより大きく甘く見栄えの良いものに改良しているが、エコロジー農業では農薬や化学肥料を極力使わないことはもちろん、自然のままの大きな木に昔ながらの味のリンゴを作る。 そして、人間が全部収穫してしまうのではなく、鳥やハリネズミ、土の中の微生物も食べるという自然循環までを視野に入れ、生態系全体の中に農業を位置付けているという。この視点はすごい。 ともすれば、基準だけで有機農産物を区別したくなるが、もっと広く深いところで「いのちが繋がるための精神」が問われているのだ。これは環境やごみ問題にも一番必要なビジョンだと思う。 ごみかん初の絵本「いのちのまちをつくる−ゴミのへらしかた」を手渡し、力強い握手で激励されてNABUを後にした。
☆ ごみかん発足のきっかけになったBUND(ドイツ環境自然保護連盟)へ
フライブルクに着いた日の午後、BUNDの活動拠点のひとつ、エコ・ステーションを訪ねた。円形の可愛らしい建物だが、天井はガッシリとした『黒い森』の木で組まれ、ソーラーシステムや雨水利用設備を施し、屋根には、希少植物を植えた、エコ・ハウスである。市の委託を受けて運営し、年間150もの学校、幼稚園の環境学習クラスや先生対象のセミナーが開かれている。建物の内外とビオ・ガルテン(ハーブと野菜の畑)を見学した後、BUNDのフライブルクおよび周辺地域の事務局長マイヤー氏に話を聞いた。開口一番「実は隣接するフランスの原発が耐震構造でないことがわかって急遽プレス発表をしたところだ」とのこと。 BUNDの活動の柱は自然保護と並んで、政治的テーマで相当の影響力を持っている。現在、会員数30万人、25年の歴史を持つが、「まだ若い方です」という言葉は、ドイツの市民運動の奥深さを物語っている。 翌日は、市の環境局を訪ね、大量の資料を入手した。環境首都と言われるだけあって、ごみ関連だけでも、さまざまな市民向けのセンスの良いパンフ等を作成している。いただいたシールには、『フライブルク市民は、自らの市のために積極的にかかわる』とあった。
☆ 「ごみの出ない祭り」で今泉みね子さんに会う
丘の広場で開かれた「ごみの出ない祭り」で今泉みね子さん(環境ジャーナリスト、近著「みみずのカーロ」合同出版刊)と、久々の再会を果たした。変わらぬ熱のこもった早口で3時間、最新情報をたっぷり!ごみの焼却・埋立てに代る機械生物分解のシステムは、すでに60社が開発しているとのこと。ドイツの州の多くが、総じて脱焼却・脱埋め立てをめざしているといえるだろう。話は農業やエネルギーの分野にまで及んだ。ドイツは先般「脱原発」の方針をはっきり打ち出したが、東海村の事故の時には、即座に市が「対策本部」を設置したというエピソードは、日本での危機感の無さを際立たせる話ではないだろうか。 フライブルク市のごみは、紙類、生ごみ、容器(DSD)、色別のビン、埋め立てごみ、に分けて排出し、大部分がリサイクルされ、わずかな残りが埋め立てられる。そこから発生するメタンガスをエネルギー源として、近隣の住宅団地に電気と暖房を供給しているほか、市内の各所でソーラー発電を積極的に取り入れ、宿泊したホテルもそれを売りにしていた。
☆ リサイクルホーフ(リユース・センター)に市民の車の列
今泉さんのアドバイスで翌日、市民のライフスタイルを支える、リユース・センターを訪ねた。朝10時前、不要品を積んだ市民の車が続々と到着し、家具、服、くつ、日用品、おもちゃ、本、鉄類、発泡スチロールなど細かく分けられた置場に置いていく。これらは後日販売日があって、必要とする市民に買い取られていく。
☆ 朝市に見たホントの豊かさと美しさ
この日は土曜日だったので、大きな朝市が立った。聞いていたとおり、山積した野菜や果物を、計ってもらって、じかに布袋に入れての買物スタイルだ。フライブルク大学構内の飲物は、マイカップ使用だと安く、プラのカップはデポジットになっていた。スーパーのリターナブルビンの返却所では、空きビンのケースを抱えた人が列を作り、戻りのお金を再び買物に使っている。レジ袋は、もちろんない。 ちょうどこの日の新聞の一面に「リユースへの誘導策として、缶と使い捨てビンの強制デポジット導入を検討したい」という環境大臣の見解が載った。ドイツにもまだ課題はありそうだ。
☆ ハノーバー万博(EXPO)での出会い
万博は今回の旅の目的の一つだったが、情報を得られる場ではないことが、最初のDSDのパビリオンでわかった。日本館、ドイツ館、環境テーマ館、エネルギー館など回ったが、出展のコンセプトを視覚的に見せる、といった内容が多かった。その中で、スイスのNPO、ZERIの竹で作られた心安らぐパビリオンを訪ね、代表のグンター・パウリ氏に出会えたことは、特筆に価するだろう。 彼は、まだ44歳の若さだが、1994年から97年まで東京国連大学の学長顧問を勤め、「ゼロ・エミッション」という言葉と概念の産みの親である。(近著「アップサイジングの時代が来る」朝日新聞社刊)。彼とは、10月の来日時の再会を約束して別れた。 万博会場では、ガラスや陶器に加えて25万個のポリプロピレン製のリユース・カップが使われていたが、これはフライブルクのカップ・コンセプト社が納入したものである。
☆ DSDごみ分別場の現実
ハノーバー2日目はデュアル・システムのごみ分別施設を見学した。ここは民間企業で、各家庭から回収した黄色い袋(容器、包装材)の中身を、アルミカン、スチールカン、紙パック、ペット、プラスチックに手選別している。袋の中は有機物や紙等の混入物も多く(約35%)、ほこりの舞い上がる中、働いているのはイタリア人やアラブ人と思われる人々だった。
☆ 「学校生物センター」に羨望のため息
この日の午後は、『学校生物センター』を訪問した。門を入って木漏れ日の広大な林を抜けていくと、平屋造りの建物と庭園が見え、数名のゲストに大きな身振りで説明している、長身の男性が見えた。彼が、このハノーバー市立学校生物センターの主、ヨークさんである。庭園は幾つものパートに区切られていて、普段食べている野菜の生育や由来を学ぶ畑(わたしたちも葉や根をそのまま試食)、感性を育てる「色の庭」や「匂いの庭」、遺伝の仕組みが目で見てわかる花園、体の形のモザイクが路上にある薬草園(どこに効くかを実際に置いてみる)、そして驚いたことに、有毒植物の一角まであった。 このセンターは、面積が7ヘクタール、1974年から学校に植物を配布、1982年に学習のための施設として設立された。4名の教師が植物学校とオープンエアースクール(森の学校)を担当し、そのほか庭師や飼育係、実習生が働いている。 同様の組織は他に3個所あって、動物園にも教師がいる。(動物園学校)ハノーバー市内とその周辺の小・中・高160校がクラス単位で利用し、2日間から1週間の授業を行っている。 教師をめざす学生や、学校の先生への指導もしている。大切なのは、心に訴えること、色色なことに気付くこと。現在はテーマが植物だけでなく、エネルギー等にも及んでいる。 話はまたまた2時間に及び、時間はすでに夜8時。だが!ドイツの夏は日が長い! 「そうだ、あなたがた、ごみに関心があるそうだから、明るいうちにコンポストを見せてあげましょう」と彼は裏庭にいざなった。 そこには、草、落ち葉、紙、生ごみ、プラスチック、などに分けた容器が4列(4年分)並び、分解の度合いが一目でわかるようになっている。 蜂のための土塀など、庭の諸々を見て、屋内に戻ったところで、「蜘蛛を手に載せたいか」と聞く。「え、ええ」と口ごもりつつ、こうなりゃ蜘蛛でも蛇でも持って来いと、大きな南米の蜘蛛を手に載せる。 ネズミと遊んで、時間はすでに10時すぎ。やっと、おいとまとなった。ドイツ流に抱擁を交わしてのお別れーなんてすてきな公務員だろうか! ああ、日本にも、いや東京にきっとこんなところを作ろう、遊休地はいっぱいあるもの、きっとできる…熱い思いが繰り返しこみあげた帰り道でした。
☆ お台場に風力発電を!
万博会場のまわりには広大な畑や牧草地が広がっていて、そこに巨大な風力発電のプロペラが3基建っている。(3基とも別会社)その中の1基、エネコン社のクラウス・ペッシャ氏を訪ねた。柱の部分に入り、らせん階段を65mの高さまで息を切らして上る。それから展望室はもちろんのこと、その上の心臓部、さらになんと天井を開けて身を乗り出し、回転しているプロペラを後ろから目の前で見るという特別サービスを受ける。あまりの大迫力に足がすくみ目が眩む。思わず「わあー!タイタニックだー!」と叫んでしまった。 出力1,800KW、年間発電電力315万KWh、建設費1億7500万円、年間ランニングコスト95万円(1マルク50円で換算)。この1基で4人家族1,000戸分の電力が賄えるとのこと。 危険な原発のごみの話をすると「これはクリーンエネルギーなので、もし取り壊すことになっても跡地は翌日からまた元のトウモロコシ畑に戻せますよ」という言葉が返ってきた。 エネコン社は1984年に5人で始めたが、今はインドやブラジルにも工場を持ち、世界中で2,500人が働いている。 風力発電は強い風の吹く場所にあると思い込んでいたが、ここはそんなことはなく、風速2.5mでプロペラが回り始めるので、東京でもお台場あたりに率先して建設すれば、遠くから原発の電気を運んでこなくても多少は自前で安全な電気が得られるだろう、と確信した。 理想を実現したヘルマンス村
続いてペッシャ氏の案内で、風力の電気を使用しているヘルマンス村へ。エキスポプロジェクトで財団が作った「自然にやさしい村」で、昨年秋に開村した。エコロジー農業を営む農家2戸を含む住民25人と村の従業員約80人がここで生活している。
10日間ドイツを旅してつくづく感じたことは、エコロジカルな環境と、美しい町並みなどの美的な意味での環境が、切り離せないものとして在るということだ。どちらの意味でもため息と歓声の絶えない日々であった。 ミレニアムのドイツからと題した 写真集もあります。ご覧下さい。
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