市民ごみ大学セミナー’99 実施報告


第一回 我が家のごみ減らしあれこれ
〜 ごみ問題に家庭や地域でどう取り組むか 〜

開催日 99年 5月29日

講師の方々の実践報告

◇ 塩野佳子さん (青梅市の水とごみを考える会)
 『何を大切にして生きるのか』という人生哲学をベースに昨年10月から大きく変わったごみの収集方法と、その前後の『青梅ごみ事情』について話された。
 11年前国立市から青梅市に移り住み、畑仕事を始めたのをきっかけに、3人の子育てをしながら草木を原料とした型絵染めを手がけている。
身の回りのものについて ゛始めから終わりまで見届けたい゛との想いが強い。畑を耕していて得体の知れない卵や蛹を見つけると ゛成長して何になるだろうか?゛とガラス瓶に入れて飼ってみる。
 蝿、蚊やミミズでもよく観察すると機能的で美しい。野菜も毎日見ていると変化し、とても美しい。ごみの問題も同じであると思う。このものがどの様にして作られ、何から出来ていて、使い終わってからどうなるのだろうか?と始めから終わりまでについて関心を持つべきである。
 この様な発想が『青梅の水とごみを考える会』、『生協』の活動でも発揮されている。

 『青梅のごみ事情』
 32年間ダストボックス収集で、不燃ごみと可燃ごみとに分けて収集されていた。捨て方のルールが守られずクリーンセンターを見学して、仕分け作業の大変さが実感できた。
また、夜中にトラックで乗りつけ捨てて行く、入らないものはダストボックスの周辺に置いていってしまう。これが原因してダストボックスの周辺は汚く、交通を妨げ危険性も大きく、夜中に金属製の蓋の開け閉めの音も気になりストレスの原因になっていた。
 これを改善するために『戸別収集』と『有料化』が市から出された。
実施にあたってのアンケートでは7割の人が反対、地域ごとの習慣の違いでこの案に対する対応が大きく異なっていたが種々な施策を行い、この方法がスタートした。
 市民の自分のごみに責任を持つという意識も高まり、分別は促進され可燃ごみは26.8%、不燃ごみは17.5%減少した。
リサイクルセンターの仕事も楽になり作業員を減らせる見込みとなった。ダストボックスが撤去され町は美しく安全になり、ダストボックスの周辺に住む人たちのストレスも解消された。
 現在では、一部の地域で生ごみの堆肥化、剪定した枝のチップ化が始まった。

◇ 白石ケイ子さん (三鷹・食べもの村)
 有吉佐和子の『複合汚染』に触発され「自分が食べているものが、どこで誰の手によって、どのように作られているか、昔は誰でも知っていた。
今は分からなくなって、そこからおかしな事が始まった」と直感した白石さん達グループは、以後積極的に農家と直接的な繋がりを持つようになった。
 産地直送の素性の分かる材料ばかり使った、本当に美味しい食べ物屋を始めたら、その店を基地にいろんな人と食べ物について話し合える。こんな夢が実って16年前に『三鷹たべもの村』が発足した。
 什器類は学校給食で使っていたものを譲り受け、不足分だけを買い足し、電気を沢山使いながら原発は要らないといえないので、電灯一つひとつにスイッチを付けた。
ごみを出さないようにお客様には食べられるだけ注文してもらい、野菜は丸ごと使いわずかしかごみにしない。この生ごみは以前、立川の農家に引き取ってもらっていたが、先方の都合で不可能になり三鷹市にごみとして出している。
コーヒーかすとお茶殻はベランダで乾燥させてから田無に住んでいるメンバーが持ち帰って、自宅で堆肥にしている。本当は三鷹市内の農家に使って貰い、出来た野菜を店で使う『循環型』にしたいが壁は厚く見通しは立っていない。
 廃油は苛性ソーダを買ってきて、店を閉めてから石鹸を作っていた、大変な作業だった。今は三鷹市にある石鹸工場にとどけて、使って貰っている。コンニャクや魚(島根県)の容器の発泡スチロールは送料を掛けて送り返していたが、汚れがあり再利用できない事が分かり中止している。
 今までは物を出来るだけ使い切る事で十分と考えてきたが、これからはより広くごみ問題を捉えて行きたい。

◇ 福岡美與 (よしとも) さん (東村山・花と野菜の会)
 30歳代に趣味として『そば打ち』を始めた。やってみると奥が深く、自分でそば粉を挽く、更に蕎麦の栽培へとのめり込んでいった。蕎麦作りの土地300坪を埼玉県下に求めた。
住宅を建てることも可能な土地だったので、手作りのログハウスを作り始めた。
重機を使わず昔ながらの大工道具を使い、時間を掛けても費用は抑え、100年持つ住宅を目標にした。
 2〜3年の予定が10年掛かりで完成し、沢山の知識・知恵と技術が身に付いた。古材や間伐材の利用も考えたが、解体を重機を使った「ミンチ」方式で、総てごみ(産廃)になってしまう。
このため古材は手に入らず、間伐材は山に放置されている。総てが経済効率だけを考えて行われている結果である。
 ここで身につけた知恵と技術は、その後のシンプルライフに大変役に立っている。例えば刃物研ぎが上手くなり、包丁を研ぎ鰹を1本買いして自分で捌くなど。
畑には50種ほどの野菜を作り、キノコなどの他は自給できている。使う堆肥の原料は何処にでもあり困ることはない。今は住宅を25年ほどで建て替えるので多量の産廃が出るし、山も人手が入らず荒れ放題である。
 「山が荒れ、都会も荒れ、人の心も・・・・・いろいろなものが狂ってしまった」

 ごみを出さないライフスタイルを通して培ったノウハウをごみ問題に活かすため家庭で生ごみの堆肥化すをすすめる東村山『花と野菜の会』の設立に加わった。
1年間に実行したこと
@生ごみの堆肥化の手引き(30ページ)を編集、頒布と市民学習会を実施
Aコンポスト化専用容器の市補助制度販売を回が直接行う
B出来た堆肥の還元専用実験農地『土なかま菜園』54区画を開設
C『農からごみ問題を考える』集い
  農業は産業振興課、ごみ問題は環境部と縦割り行政を接着さる市民企画を実施。

 ごみを減らす為にあれこれやるのでは苦痛が伴い持続は難しい。シンプルなライフスタイルが作られればごみを出さない生活となる。
単なる節約生活とは異なり、地域社会や地球環境との関わり方で自らにバランスを求める意識が重要である。


◇ 奥山玲子さん (川崎・ごみを考える市民連絡会)
 『川崎発ごみを出さない、燃やさない市民プラン』について ゛川崎市のごみ事情゛と
゛市民プラン作成゛のための『家庭ごみ発生源実態調査』についてお話を頂きました。

川崎市のごみ事情
 川崎市のごみは6分別[普通ごみ、ビン、缶、乾電池、粗大ごみ、雑金属]と最近一部地域でペットボトルが分別されている。布・紙類は資源ごみとしては収集していない。ごみは週5日、毎日収集され普通ごみ4日、資源ごみ1日(この日は普通ごみは収集しない)である。
 普通ごみは市内4ヶ所に設けられた焼却場で燃やし、粗大ごみは2ヶ所の粗大ごみ施設で破砕し金属類は回収される。ビン、缶などの資源ごみは3ヶ所の資源化施設で処理されている。
 川崎市は1980年代から最新の焼却施設を持ちプラスチックも併せて焼却、焼却灰は臨海部の最終処分場に埋め立ている。この間「清掃先進都市」を誇り、市民に良いサービスを提供していると自負していた。
しかしながら高度経済成長の結果、ごみが急増し焼却施設の能力を超えそうになり、1990年『ごみ非常事態宣言』が出された。

 これを受けて1992年『ごみを考える市民連絡会』が結成された。先ず、ごみを少なくするには買い物の仕方が肝心と「買い物ガイド」を94年に発行。
その他、種々な実践を評価され会の代表が市の廃棄物審議委員会のメンバーとなった。その後ダイオキシン汚染問題がクローズアップされたが有効な対策は出てこなかった。
 この様な事情から2年前に『川崎発 ごみを出さない燃やさない市民プラン』の作成を目指した。市民プラン作りには事実を知ることが大切と『50ヶ所の見学』、『15回の学習会・フォーラムを持ち』さらに『ごみ発生実態調査』に取り組んだ。
 会員とその周辺の人に呼びかけて、98年6月の連続1週間、36項目に区分して毎日計量し、その処理の仕方も記録してもらった。参加者91名と多くなかったが、細かく区分しての調査であったので実態を知るのに大変役立つ資料が得られた。同時にごみに対する意識を高める効果があったことが、調査用紙に書かれた感想から分かった。
 同年10月、さらに多くの人の関心を高めるために、6項目に絞り込んだ「チャレンジ!ごみチェック」を新聞、ミニコミ誌で募集し応募者438名で実施した。この様な調査や学習結果から自信の持てる市民プランを作ることが出来た。


ディスカッション

  出席者からの質問・問題提起をもとに活発なディスカッションが行われた。論議の要点は以下の通り。

1.行政と協調して行くにはどうしたらいいか
◇ 批判しているだけでは行政を動かすことは出来ない。
  行政が出来ないことを市民が実施していく姿勢が大切である。

@ 農から考えるごみ問題として、生ごみの堆肥化を促進し、出来た堆肥を農家に使って貰うシステムを考えた。農業は産業振興課、ごみ問題は環境部が担当と縦割り組織がネックとなり進まなかった。
 市民団体が具体的な提案をし仲を取り持った結果、少しずつ進むようになった。
A 市が生ごみの堆肥化のためコンポストの購入に補助金を出していたが、その後のトレースがされていなかった。追跡調査をしようとしたが、最初は補助金を出した人の名簿もプライバシー問題を口実に出さなかった。
ねばり強く交渉し名簿を入手して追跡調査を行い、補助金が無駄になっているデータを市に提出した。現在では担当課長が替わったこともあり、調査を依頼されるまでに変わってきた。
B 口でいくら言っても行政を動かすことは出来ない。小さくとも自分たちが具体的に行動を起こし、実績作りが必要である。
実績を積み重ねこれを基に作り上げた市民プランを活かすため、市は懇談会をセットするまでになった。
C 行政の問題を言うよりも、仲間に分かってもらうことの方が先である。自分自身のことを日常的に進める活動が大切である。

2.過剰包装の問題
@ ごみ有料化の効果として包装材をレジを終わってから取り除き、店のごみ箱に入れて、家庭に持ち帰らない人が増えてきた。
これだけではごみの量は減らないが、やがて商店、更に流通、メーカーへと波及して全体としてごみが減少すると思う。
 市民の意識を変えることも必要であるが、ごみを減らせば経済的なメリットが生まれる制度も必要である。
A 最近デパートでも持参した買い物袋に入れることを認めるようになった。更に張り付けるシールも断る運動をしている。
B 地域差の問題か、今までばら売りをしていた魚屋や八百屋が閉店し、トレーなど包装材を使う店が増えてきている、との問題が報告された。

3.ごみ減らし運動だけでは限界がある
◇ 持続可能な社会に向けて、シンプルライフの楽しさを理解し、定着していく
   仲間作りが必要である。

@ 出来るだけ最初から最後まで見届ける。自分の手で多くのことを処理する。
 ・種を蒔いて育て収穫する喜び
 ・裏紙も紙質や色を活かした楽しい再利用
 ・鰹などの大型魚も一本買いし、自分で捌き部位の特徴を活かしたおいしい料理作り
A 外出時タッパー、水筒持参

 根本は『自分の生き方の問題 』豊かさとは何か、幸せとは何かを考えることが大切である。大量生産・大量消費社会が真の豊かさをもたらさなかったことは明らか。
『ごみや環境問題を契機にひとり一人の価値観を変えていかなければ』が今回の実践報告・ディスカッションの中に流れていた強い想いであった。



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